【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(33) トロをどう訳したら
連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月20日(火) 09:00
1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。
現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。
“村の衆”にぜひ晴天を
相模湖選手村村長・松原五一
明るい笑い声やつきぬ語らいににぎわう大磯選手村をあとに、雨上がりの厚木街道を走りぬけ、眠りに深く沈む相模湖畔に到着、夜のドライブはさまたげるもののないままに、快速で快適で所要時間一時間二十五分無事帰村することができた。
いつもはまだまだ高らかな笑い声の絶えない時間であるのに、レース本番間近いためか、相模湖クラブをはじめどの部屋も灯は消えて物音もなく、まさに戦いの前の静かさであろうか。
京都の仲間からすすめられた香をたき、静岡の友人よりおくられた銘茶をすすってまず一息いれ、ひとり机に向かってからペンをとる。
きょうは一日中雨。音もなく身にしみる静かな雨。湖畔の山山は霧にさえぎられて見えず、薄墨ではいたような雲はためらって動かず、何となく暗いベールが視界を包む。だがこの雨はかならずや晴れ上がってわが“村の衆”の活躍する三日間を、快晴で飾ってくれるであろうことを信ずる。これは私だけでなく職員一同のねがいであり、祈りでもあるのだ。
その降りしきる雨の中、県教育庁の加藤文八参事がご慰問に寄られ、力強いはげましをいただいたのはまことにうれしい限りであった。ご持参の疲労回復の妙薬、さっそく職員に分けて恩恵にあずからしめたいと思います。
さて、今夜の大磯村における内山知事(※内山岩太郎神奈川県知事)さんのレセプションはすこぶる豪華なものであった。さすがはハイ・ソサエティのヨットマンを集めたパーティーとあってリッパなもので、場なれぬ私などはそのふんいきにおされてたじたじであった。
村長日記(33) トロをどう訳したら
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競技開始を控え、相模漕艇場で全艇の検定が始まった。長さと重さが計測され、規格から外れた艇は重りを載せるなどして調整した。検定は、競技開始直前にもう一度、さらにレースが進むたびに重ねて行われる=1964年10月16日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬 [写真番号:377653]
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大磯選手村で開かれた神奈川県知事主催レセプションでのひとこま=1964年10月18日、大磯町国府本郷 [写真番号:377680]
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目下総合1位の東西ドイツ統一チーム・クーバイデ選手(フィン級)と歓談する内山岩太郎神奈川県知事(左)。1人乗りのフィン級は、代表権をめぐって東西ドイツ間に争いがあり、開会式当日になって西ドイツの同選手が代表に決定。このまま1位をキープし金メダルを獲得した=1964年10月18日、大磯町国府本郷 [写真番号:377775]
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相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長 [写真番号:350095]
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神奈川新聞 1964年10月20日付10面 [写真番号:377298]