その男性はガジュマルの大木の下で、1人佇(たたず)んでいた。2019年2月24日、辺野古新基地建設の現場からほど近い公民館は、建設を巡る埋め立ての賛否を問う県民投票の投票所となっていた。1票を投じた男性は、雨宿りをしながら紫煙をくゆらせていた。
話し掛けると、ぽつりぽつりと語り始めた。沖縄県名護市では1997年にも、米軍普天間飛行場の返還に伴う辺野古沖での代替施設建設を巡り市民投票があった。当時を振り返り、「地元はみんな必死だった。賛成派も反対派も、それぞれ地域の将来を考えながらね」。
雨脚が強まる。男性は人影まばらな公民館の玄関に視線を投げ掛け、言葉を継いだ。「今回は静かなもんだ。20年以上も振り回され、みんな疲れたんだよ。それでも踏ん張るのは、子や孫に何かを残したいという思いがあるからだ」
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県民投票をけん引した「『辺野古』県民投票の会」元代表の元山仁士郎さん(28)は、市民投票当時はわずか6歳だった。
辺野古問題を巡るもう一方の地元、宜野湾市で生まれ育ち、普天間飛行場は日常の風景に溶け込んだ身近な存在だった。実家はフェンスから300メートルほど。小学校低学年までは米軍機を見上げては「うるさーい」と叫んでいたが、次第に麻痺(まひ)し、中学校に進むころには「何を言っても変わらない」と受け止めるようになった。
一方、基地内の瀟洒(しょうしゃ)な街並みに心を奪われた。米兵の父親と小さな女の子が庭でビニールプールを膨らませゴールデンレトリバーとはしゃぐ姿を、フェンス越しに眺めた記憶が残る。クリスマスパーティーやハロウィーンのイベントに招かれ、異文化体験に興じた。
「嫌悪感と憧れ。相反する感情が同居する複雑な思いを抱きながら、基地を見ていました」