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2019年7月の紙面から
【ウェブ版解説】表現の自由どう報じるか

ジャーナリズム時評 | 神奈川新聞 | 2019年8月21日(水) 02:00

 性格は大きく異なるものの、表現の自由をめぐる悩ましい事案が続いている。そうしたなかで、公権力が〈問題がある〉と判断した表現行為が制限され、社会の一部にはこれを歓迎する空気も少なくない。また、本紙も含め報道機関が公的規制を後押しする状況もある。ここでは4つの事案を通して、表現の自由の報じ方について考えてみたい。

情報コントロール

 第1の事案としては、7月18日に起きた京都アニメーション放火事件がある。警察が被害者名を特定したのち、遺族ほか関係者の意向として、犠牲者の氏名を公表せず、また取材の条件等を細かく指示するという状況を生んだ。とりわけ80年代後半以降の新聞・テレビ・雑誌等の行儀の悪さやスキャンダル報道の行き過ぎによってメディアを見る目が厳しくなってきたことや、世間のプライバシー意識の高まりもある。法制度上も行政機関個人情報保護法が成立し、公的機関が収集した個人情報を、みだりに開示することに制約が生まれているという背景もある。

 これらに加え犯罪被害者等対策法や同法に基づく基本計画によって、被害者の警察匿名発表が事実上法的お墨付きを得たことから、社会的耳目を集める事件・事故になるほど、当事者の取材プレッシャーを回避する目的などで、名前の公表を控える場合が増える傾向にある。これに対し報道機関は、被害者等の人権に配慮しつつも、公的機関による恣意(しい)的な判断によって公表の諾否がわかれるのは問題があるとして、強く実名発表を求めてきた。まさに、公権力の情報コントロールは認めないという立場だ。

 第2の事案は、7月に行われた参議院選挙期間中の出来事だ。安倍晋三自民党総裁の北海道・札幌市内の街頭演説中に、肉声でヤジを飛ばした市民複数を、北海道警が身体拘束し、発言を妨害することがあった。自民党はこのほかにも、街頭演説スケジュールを公表しなかったり、支援者等を演説場所に配置し、対抗的にプラカードを掲げて、抗議のプラカードや市民を封じ込めたりするような対応を取ってきている。これに対しても、準公権力ともいえる政権党による発言封じ込めであるとして、批判的な立場の報道機関が多数である。情報コントロールであるとの認識の現れと理解できる。

 そして第3の事案が、8月に入っておきた愛知国際芸術祭(あいちトリエンナーレ「情の時代」)における展示の突然の中止である。芸術監督が出演予定だった神戸のシンポジウムが中止になるなどの飛び火があったり、16日に主催者である愛知県による検証委員会の第1回が開催されたりするなど、まだ進行中の事案ではある。ただし、名古屋市長の展示中止や謝罪要求、大阪市長のこれに呼応するかのような発言に対し、本紙も批判的に報じてきている。また、いわゆる保守系市民からの脅迫・抗議を受けて展示が中止に追い込まれたことに対しても問題ありの立場だ。

 その意味合いは、いわば公的機関が主催する美術展において、開催中止という最も強力な管理権を行使して作家の表現の自由を奪ったとの認識があるからこそであって、公的機関の情報コントロールに反対するという意思表示であろう。

異なる対応

 これらに比して、異なる対応を取るのが、川崎市ヘイトスピーチ条例に対する対応だ。川崎市が行政判断で表現行為を事前に制約すること、あるいは実行者に対して刑事罰を科すことを一貫して支持し、それを強く推進する立場を示してきているからだ。むしろ市と完全に一体化し、強力な行政権限によって表現行為の規制を求めてきているといってよかろう。

 ヘイトスピーチの現状を改善・根絶し、差別のない社会を目指すという社の姿勢はあってよいものだし、むしろ弱者の立場に立つという意味でも当然でもあろう。そのための1つの選択肢として行政の役割は重要だし、その措置や処分が恣意的にならないように法令を定めて恣意性を排することも重要だ。しかし一方で、その制約の行き過ぎや権限の拡張には十分すぎる注意が求められるのであって、それもまた報道機関の重要な役割である。

 しかも焦点は表現規制であって、報道機関の重要な役割として、社会における表現の自由の縮減状況に対しアラームを鳴らし、歯止めになることが求められている。それからすると、市のヘイト規制を無条件に推進することが、最初にあげた3つの事案における立場と矛盾しないのか、さらなる説明責任を紙面上で果たす必要があるだろう。

 新聞の自由は、憲法が保障する表現の自由の一形態だ。その自由を実効あらしめるため、報道機関そして一人一人の記者は、読者の知る権利の代行者としての社会的責務をまっとうすることが求められている。まさに新聞が「憲法メディア」と呼ばれる所以(ゆえん)でもある。

 それを裏返せば、社会における言論・表現の自由が弱体化すれば、それに応じて新聞の自由も縮減するし、だからこそ新聞は自由の防波堤として常に緊張感を持って生起する事案を報じ論じていく必要がある。刑事罰に前のめりになることが、将来に禍根を残すことのないよう、表現の自由の守り手としての憲法メディアの働きを期待したい。

山田健太(やまだ・けんた 専修大学教授) 専修大学ジャーナリズム学科教授・学科長。専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ専務理事。主著に「沖縄報道」「法とジャーナリズム 第3版」「現代ジャーナリズム事典」(監修)「放送法と権力」「ジャーナリズムの行方」。

 
 

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