山北旋風1985 “山の子ナイン”の本気度|カナロコ|神奈川新聞ニュース

高校野球

山北旋風1985 “山の子ナイン”の本気度
伝統校&公立編 69/100

  • 公開:2018/04/12 02:00 更新:2018/04/12 18:54
  • 神奈川新聞
神奈川高校野球100回大会 “山の子ナイン”の快進撃-。当時の本紙は、ベスト4まで勝ち進んだヒーローたちの躍進をそう伝えた。
続きを読む

 だがそれは決して、勢いや運が生んだ物語ではなかった。強豪私学と互角に渡り合った「山北旋風」は、純粋に強いからこそ起きたのだ。

 1985年の夏。神奈川西端の町からやってきた県立高校のナインが、負ければ終わりのトーナメントを力強く駆け上がっていた。クライマックスは5回戦だった。

 相手は法政二。前年春の甲子園メンバー5人が残る優勝候補の一角。山北高校は創部10年目の新興勢力だったが、夏は前年が武相、前々年は横浜に、いずれも1-2で惜敗と強豪を追い詰めていた。

 0-2で迎えた八回だった。2死満塁から4番小松善雄の強烈なライナーが、三塁手のグラブをはじいた。外野へボールが転々とする間に、2者が生還して同点。続く善波厚司(現青学大コーチ)が中越え二塁打を放ち、走者を一掃した。

 そのまま4-2で下すと、準々決勝でも綾瀬を破り、ついに準決勝まで進んだ。大一番を控えた休養日には、学校のグラウンドに町長が激励に訪れた。山梨、静岡との県境、丹沢湖を抱える山あいの町にとっては、まさに一大事だった。

 当時の主将で4番の木村壽宏が笑う。「横浜スタジアムに見に来た人のほとんどは、そこで初めて『山北』を知ったんじゃないですか。でも俺らはそれだけの練習をやってきたんだという、強い気持ちがありました」

 善波と板倉直行の両投手は、ともにプロのスカウトからも一目置かれる好投手だった。野手も100メートル11秒台の俊足が4人もそろっていた。ただ人口わずか1万4千人ほどの町にある唯一の高校に、これだけの戦力が集まったのは、偶然ではなかった。
...

COMMENTSコメント

※このコメント機能は Facebook Ireland Limited によって提供されており、この機能によって生じた損害に対して株式会社神奈川新聞社は一切の責任を負いません。

PR