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横浜・米軍機墜落44年 記憶の継承「事故は再び起き得る」

社会 | 神奈川新聞 | 2021年9月25日(土) 14:00

 横浜市内の住宅地に米軍機が墜落し、住民9人が死傷した事故から27日で44年。記憶の継承に取り組んできた市民団体代表の齋藤眞弘さん(80)=同市緑区=は風化を危惧する。傘寿を迎え、活動を大幅に縮小したが、米軍機が今なお飛び交う現状を憂い、訴える。「事故はいつでも、どこでも再び起こり得る。一人一人がわが事と考えてほしい」

横浜米軍機墜落事故 1977年9月27日午後1時20分ごろ、米海軍厚木基地を離陸した米軍機が横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落、炎上し、9人が死傷した。乗員の米兵2人はパラシュートで脱出し、無事だった。事故後に帰国し、日本で刑事告訴されたが、不起訴となった。

事故直後の写真を手に、当時を振り返る齋藤さん=横浜市緑区

 丘陵地に広がる閑静な住宅地。齋藤さんは資料をめくりつつ、足元に目を落とした。「ここにエンジンが落下し、深く地面をえぐりました」。次いで、秋晴れの空を見上げる。視線の先には高さ数十メートルに及ぶであろう送電線が走り、「ばらばらになった部品があれぐらい遠くまで飛散し、傷つけたのです」。

 火を噴く米軍機が住宅地を直撃し、噴き出した燃料が付近の家々、庭や公園の木々を焼き尽くした。空襲後の焼け野原を彷彿(ほうふつ)させる惨状が広がったが、事故を今に伝える痕跡はない。

 木漏れ日を浴びながら公園で遊ぶ親子を見やり、つぶやいた。「あれほどの事故が起きた現場とは、思いもよらないでしょうね」

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 1977年9月27日、会社員だった齋藤さんが事故を知ったのは夕刻だった。翌朝、15分ほどバイクで走り、現場に立った。

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