復興を遂げた海辺に更地が点在する。時を経てもなお、癒えない傷がある。首都圏最悪の津波被災地となった千葉県旭市の人々は、次代に何を託すのか。
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「今年は子どもの作品に元気がなかった」。詩人で審査委員長の高橋順子(76)が壇上で率直な感想を漏らした。
東日本大震災10年の大きな節目を控えた2月14日、千葉県旭市の文化会館で、5回目を迎えた「旭いいおか文芸賞『海へ』」が催されていた。関連死を含め14人が死亡し、2人が行方不明になった同市の津波の教訓を語り継ごうと企画されたものだ。
入選となった地元小中学生ら12組が公開審査に臨み、海に対する思いや印象的な出来事を読んだ自作の詩やエッセーを朗読。しかし、10年前の記憶を塗り替えるかのような昨今の社会状況が、応募作の内容や会場の雰囲気を変えていた。
〈今年、世界を襲ったコロナウイルス。今までの生活が一変し想像もしなかった出来事だった〉
〈今度はコロナウイルスの流行で、当たり前の生活が一変した〉
高橋が作品から感じ取っていたのは、不便な日常を強いたコロナの影響だ。それは応募数の減少という形でも表れていたが、昨年は公開審査を中止せざるを得なかっただけに、実行委員会会長の渡辺昌子(74)はかみしめる。「授業時間の確保が難しい中、それでも多くの学校が協力してくれた。本当にありがたい」
親から子へ
文芸賞の実施を決めたのは、震災5年の節目を目前に控えた2016年2月だった。
津波そのとき 千葉・旭市から(上)継承
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夫(右)らとともに手掛けてきた「復興かわら版」の展示会場で、これまでの歩みを振り返る渡辺昌子さん=2月、千葉県旭市の「飯岡刑部岬展望館~光と風~」 [写真番号:538224]
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地元小学生らが海への思いを込めた作品を朗読した「旭いいおか文芸賞『海へ』」の公開審査=2月、千葉県旭市の県東総文化会館 [写真番号:538228]
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刑部岬から見た旭市飯岡地区の被災エリア=2月 [写真番号:538229]