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教師と医師、それぞれの震災への思い

社会 | 神奈川新聞 | 2021年2月21日(日) 05:00

 東北地方を襲った地震や津波などの未曽有の大震災。「#311jp」に投稿を寄せてくれた神奈川県内の教師と医師に、それぞれの震災への思いや教訓をインタビューしました。(蓮見 朱加)

ヒマワリの種を福島へ 「応援したい」横浜の中学校

「今年度はコロナ禍の長期休校でヒマワリを育てられなかったけれど、できれば今年の夏はまた花を咲かせたい」と思いを語る横浜市立末吉中学校教諭の木村貴士さん【左】と生徒の本多由季さん=横浜市鶴見区

 毎年、夏に100本のヒマワリが横浜市立末吉中学校(同市鶴見区)の校庭に花開く。「ヒマワリを通して、福島の人たちを応援したい」と、同校3年の本多由季さん(15)は笑顔を見せる。

 同校が取り組む「福島ひまわり里親プロジェクト」。震災後、ヒマワリが放射性物質を吸収するという効果を期待し、除染などに役立てようと企画され、全国で続いてきた取り組みだ。

 福島から種を全国に送り、その種を各地で育てて、収穫した種をまた福島に送り届ける草の根の相互交流。国が2011年9月「実用的でない」と実験結果を発表し、除染の効果は無いとされた後も、「福島再生のシンボル」として受け継がれてきた。

 同校では生徒たちが育てたヒマワリの種を収穫し、毎年、福島に手紙とともに届ける。種は油になり、福島県内を走るバスの燃料などに役立っているという。

 そんな生徒の取り組みを見守る福島市出身の教諭がいる。木村貴士さん(45)だ。

 木村さんは、臨時教員として働いていた福島県会津若松市内で被災した。同市は震度5強を記録。内陸のため津波の心配は無かったが、「言葉にできない揺れ。プールの水もあふれ、マンションも倒れると思い、もう死ぬと思った」と、当時を思い出す。

 3・11当日は卒業式だった。停電し、携帯電話は通じず、生徒はすでに帰宅していたため生徒名簿を握りしめて、一人一人自宅に安否確認に回った。「終わったのは午後9時。自分の家族のことは後回しになってしまうのが教師です」。津波は宮城県などにいた友人4人の命も奪ったという。

 震災後は、福島第1原発から約100キロ離れた同市内にも、多くの人が着の身着のまま避難してきた。学校も数人の生徒を受け入れたが、放射線量を測定する機械を体に当てられていた生徒を見た光景は今も忘れられない。

 その後、横浜市の教員採用試験に合格し、19年4月から横浜市立末吉中学校に赴任。福島で教員を務める妻ら家族とは離ればなれの生活だが、同校での教師生活は木村さんにとってかけがえのない日々だ。

校庭に咲く「福島ひまわり里親プロジェクト」のヒマワリ=横浜市立末吉中学校提供

 「福島の学校でもヒマワリの種を育てていて、横浜に来てもその光景を見ることができた。単身横浜での挑戦だったけれど、プロジェクトやそれを支える生徒に出会い、福島出身者としてとても勇気づけられた」

 震災を福島で経験したからこそ、横浜の生徒に伝えられる言葉がある。「まさかは来る」だ。

 「今の中学生は震災を覚えていないかもしれないけれど、今度、震災が起きた時に一人でも多く助かるよう、生徒には『まさかは来る』を伝え続けたい。横浜も海が近い。20メートル級の津波が来たら、屋上にいても助からない。とにかく高い所に逃げて、逃げればなんとかなる」。生徒には、そう伝えている。

私事より仕事 「支えてくれる人いる」相模原の医師

「手術中、保育園の先生方を信じて、最後まで頑張ることができた」と話す荻野弓希子さん=相模原市中央区

 あの日、子宮を摘出する手術の真っ最中だった。頭上のライトがぐらぐらと揺れ「上から落ちてきたら死ぬ」と、命の危機を感じた。今まで経験したことのない揺れが、まさか手術中に起こるとは思ってもいなかった。

 産婦人科医として、相模原市中央区の渕野辺総合病院に勤務している。研修医時代は朝8時から夜11時まで大学病院で働き、寝る間も惜しんで一人前の医師を目指した。「女性であることを活かせる分野はないか」と産婦人科の道を選び、シングルマザーとしても娘を育ててきた。仕事と家庭の両立を必死にこなし、震災後を振り返るとあっという間の10年間だった。

 「自分のための時間はほとんどなかった。けれど、40歳を過ぎてこれからはもっと自分を出したいと思い、震災の体験を(マイカナに)応募しました」と打ち明ける。

 手術中、真っ先に思い浮かんだのは保育園に通う娘の安否だった。「手術後、患者さんのご家族にも経過を説明しなければならないので、すぐに保育園に駆け付けることはできませんでした」。医療に携わる人間として、「プライベートより患者が最優先」という使命感は常に抱いてきた。「患者さんが具合が悪くなれば、休日でも子どもを連れて病院に行くし、それは医師として当たり前の感覚なんです」

 一方で、地震を機により強く思うようになったことがある。それは、保育士や看護師、介護士といった福祉の現場で社会を支える人たちの待遇改善だ。

 10年前の3・11。午後5時すぎ、全ての仕事を終えて保育園に向かうと、園児たちは保育園の隣の公園で遊んでいた。「先生たちは、安全な屋外で子どもたちを見ていてくれた。寒い中、外で見ていてくださってありがとうございます、と本当に思いました」と、保育士らの支えを今も思い出す。

 「医師の給与と比べても、もっと待遇が良くなるべき。女性が多い仕事には待遇改善よりも、奉仕ばかりが求められている気がする」。新型コロナウイルス禍の今、医師よりも看護師の方が患者に接する機会は多く、「コロナ禍では一日に何度も検温があり、体を拭いたりなど、危険手当以外にも待遇をもっと考える必要がある」と訴える。

 医師として、親として、震災を経験してこう強く思う。「支えてくれている人がいるからこそ、どんなことが起きても安心して働くことができるんです」(蓮見 朱加)


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