
子どもたちに語って聞かせるのは、半年ぶりだった。
7月15日。被爆者の岡田恵美子さん(83)=広島市東区=は、広島平和記念資料館(原爆資料館、同市中区)のホールに立っていた。
新型コロナウイルス感染症の影響で臨時休館した2月末以来、館内で開かれた被爆証言に集まったのは、兵庫県明石市の小学6年生85人。再開後、同館が初めて受け入れた修学旅行生だ。児童は1席ずつ間隔を空けて着席し、300人を収容できるホールいっぱいに広がっていた。手作りのマスクを付けた岡田さんの目の前には、透明なアクリル板も設けられた。
いつものように子どもたちの間を歩きながら、一人一人の目を見つめて語り掛けることはできない。それでも、証言が再開できたことに「喜びと感謝しかなかった」。寄せられる真剣なまなざしを感じつつ、岡田さんはゆっくりと口を開いた。
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1945年8月6日。爆心地から2・8キロ離れた自宅で、幼い弟2人と朝食を食べていた。ふと窓の外に目をやると、こちらに向かって何かが飛んでくるのが見えた。「あ、飛行機」。その瞬間、すさまじい光が目に飛び込んできた。
コロナ禍のヒロシマ(上)活動激減、記憶継承へ全力
8歳で被爆した当時の体験を語る岡田さん=2日、広島市中区 [写真番号:334649]
戦時中に撮影された家族写真。岡田さん(前列左から2人目)や姉(左端)らが写る(岡田さん提供) [写真番号:334650]
自らの被爆体験を語る寺本さん=7月30日、広島市中区 [写真番号:334651]
12歳で被爆した笠岡さん(左)の話に耳を傾ける伝承者の大河原さん=7月30日、広島市中区 [写真番号:334652]