東京都の名誉都民である造形美術家・三橋國民氏の「鎮魂70年目の夏」展を見た。太平洋戦争時にニューギニア戦線でけがを負った作者の頭部を軽金属で表現した立体作品「負傷した私」の前で足が止まった。
「私は被弾し朦朧(もうろう)としていた。微(かす)かに母の声が響いてくる」。息子たちが戦地で被弾し、意識が朦朧とする中で、私の声にすがろうとする日がもしや来るかもしれない。添えられた解説に切実な恐怖感を覚えた。これまでにない感覚だった。
安全保障関連法案反対を訴えるデモや集会が相次ぐ。幼い子どものいる母親や若者たちも声を上げ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でも意見が飛び交っている。
戦争に巻き込まれる可能性が膨らみつつある。そうした懸念を抱いている人が増えているのではないか。安倍晋三首相が徴兵制や戦争に巻き込まれる可能性について「ない」と断言しても、不安を感じざるを得ない。
多くの憲法学者が違憲と指摘しているのに、世論調査で国民の半数以上が反対、説明不足と答えているのに、あまつさえ、首相自身が「国民の理解が進んでいない」と認めているのに、衆院特別委で法案は強行採決された。そうした強引な展開がさらに不安を増幅させる。
「『なんか自民党、感じが悪いよね』という国民の意識が高まると危ない」。閣僚のそんな発言もあったが、私たちが抱く「悪い感じ」はそんなレベルではない。
感じたら、声を上げなければならない。「悪い感じ」が薄れ、消えた時、恐ろしい事態が出来(しゅったい)するのは70年前の反省でもある。
(論説委員・米本良子)