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神奈川近代文学館 金達寿展(上)

文化・科学 | 神奈川新聞 | 2021年1月26日(火) 15:32

【左】「濁酒の乾杯」原稿冒頭部分【右】神奈川新聞横須賀支社で=1944年~45年ころ(いずれも同館蔵)

 2020年、生誕100年を迎えたのを機に、12月から「金達寿(キムダルス)展」がスタートした(緊急事態宣言を受け臨時休館中)。

 金達寿(1920~87年)は生涯にわたって日本人と朝鮮人の相互理解を希求し続けた在日朝鮮人作家だ。日本統治下の朝鮮・慶尚南道(キョンサンナムド)に生まれ、10歳のとき日本・東京に渡った。生活に困窮し小学校退学を余儀なくされるが、働きながらも学びへの渇望はやまず、苦学を重ね文学を志すようになった。

 10代半ばから20代にかけては横須賀市で暮らし、その青春の日々は多くの作品に投影されている。

 37年、17歳の時には境遇を同じくする張斗植(ヂャンドシク)と出会い、近隣の朝鮮人青年を集めて夜学を開き、啓蒙(けいもう)のためガリ版雑誌「雄叫び」を刊行。共に日本大学専門部に進み、神奈川新聞社に前後して記者として勤務した。終生の「心友」となる二人をモデルに「雑草の如く」「叛乱軍」等を書いている。

 新聞記者時代の日本人女性との恋愛経験は、金達寿に朝鮮人であることの自覚をもたらす契機となり、「後裔の街」や芥川賞候補作となった「玄海灘」等に反映された。これらの作品にはまた、記者として戦意高揚に加担した後悔の念も影を落としている。

 戦争末期、朝鮮人の補助憲兵が横須賀に現れ、朝鮮人集落の人々を大混乱に陥れた。このとき機転を利かせ、この補助憲兵に焼き肉や密造酒を振る舞い、仲間に取り込んだ顛末(てんまつ)は「濁酒(タクジュ)の乾杯」に生き生きと描き出されている。

 日本の敗戦後には、ただちに横須賀で朝鮮人組織を立ち上げて、雑誌「民主朝鮮」を刊行し、祖国への帰還支援や、民族教育機関の整備等の活動に加わった。何をも顧みず駆け回り、後に自ら「活気横溢」と振り返る奮闘ぶりも「八・一五以後」「華燭」「前夜の章」等の短編に青春の1ページとして色濃く刻まれている。

 金達寿は、こうした作品によって日本の文壇で認められ、在日朝鮮人作家の第一人者として、確固たる存在感を示すようになっていった。(神奈川近代文学館展示課・和田 明子)

 「金達寿展」は3月14日まで、神奈川近代文学館(横浜市中区)で開催(現在臨時休館中)。同館[HP]で展示風景(画像)や「民青学連事件」で投獄された詩人・金芝河(キム・ジハ)らの釈放を求めて鶴見俊輔らと行ったハンガーストライキの際の音声を公開中。展覧会の内容や年譜を収めたリーフレットもダウンロード可能。問い合わせは同館、電話045(622)6666(月曜を除く)。

※新型コロナウイルス感染拡大を受けて催しが変更になる可能性があります。

 
 

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