津波そのとき〈1〉 子どもの目線で|カナロコ|神奈川新聞ニュース

津波そのとき〈1〉 子どもの目線で

子どもたちが熱心に取り組んだ海岸減災林の植樹。4年前、この沖合から津波が押し寄せた=8日、千葉県旭市

 雨交じりの冷たい潮風が砂浜を駆け上がるように横から吹き付けた。かっぱを羽織り、帽子やタオルをかぶった子どもたちが、砂の斜面を次々とシャベルで掘り返していく。小さな苗木を植えては大人と一緒に足元を踏み固め、願った。

 強く大きく育ってね-。

 九十九里浜の東端に位置する千葉県旭市の飯岡海岸。東日本大震災から4年の節目を控えた8日、海岸減災林の植樹祭が催された。

 クロマツやシロダモ、マサキなど3千本。人々の命を守るだけでなく、復興のシンボル、さらには苦い経験を次代に語り継ぐよすがにしようとの試みは、死者・行方不明者15人という首都圏最悪の津波被害に見舞われた同市が新たな一歩を踏み出すきっかけでもあった。作業に入る前の式典で、その意義はこう伝えられた。「千年先の子どもたちが笑顔で幸せに暮らせるように」

 潮風が強く、砂が飛散しやすいという厳しい生育環境で、木々がしっかりと根付くかは分からない。試行錯誤を重ねながらの息の長い取り組みになる。

 小学校2年の長女(8)と足を運んだ地元の地方公務員男性(42)が思いを重ねた。「この子が今、何を感じ取ってくれるかは分からない。けれど、あの日のことを忘れちゃいけないと伝えたくて」



 減災林の植樹が行われた千葉県旭市の飯岡海岸の目前に広がる海は4年前のあの日、壁のように立ち上がり、いつもとは違う黒い水の塊となって何度も押し寄せた。堤防を越えた津波は、親子で植樹に臨んだ男性の長女が通っている市立小学校の校門付近に迫った。同校は海岸から300メートルしか離れておらず、家を失った地元の人々の避難所でもあり続けた。

 2011年3月11日午後2時46分。発端となった巨大地震が三陸沖で発生したとき、2年生以上は卒業式に向けた体育館の清掃などで学校に残っていたが、1年生は既に下校していた。幸い児童に犠牲者はなかったものの、自宅の全壊は30棟を数えた。

 「大きな津波は来ない」と油断して家に戻り、あるいは上着や貴重品を取りに帰った人々をのみこんだのは、本震から2時間40分が過ぎた午後5時26分ごろの第3波だった。

■記憶

 防災無線から繰り返される大津波警報。校舎3階の理科室に避難していた5年生の一人は、そのときの衝撃をこうつづる。

 〈少したってから、津波が来た。しかも、3回も来て、だんだん強くなっていた。『ほんとに津波が来た』。信じられなかった。まさか、ほんとうに来るなんて、夢にも思わなかった〉
 迎えに来た祖父と家に戻った別の5年生は、迫る津波に再度の避難を余儀なくされる。

 〈テレビを見ていると、おばあちゃんが二階から、『そこの坂まで水がきているじゃない』といいました。それから大いそぎでしたくをして〉
 それぞれの目で見詰め、肌で知った津波の怖さ。当時の校長の発案で児童がそれぞれの体験を作文にまとめたのは、臨時休校を経て全校集会が開かれた3月16日だった。

 ある2年生は〈わたしの家は、かいだんの三・四だん目まで水が入ってきました〉と記し、〈家の中に入ると、ゆか上浸水ですごく、ぬれていました。とてもショックでした〉と振り返った女児もいた。

■迷い

 その一方で、自宅の被害が激しく、登校できない子も少なくなかった。5冊のファイルにとじられた「震災作文」の数は、当時の全校児童数266人の半数に満たないものの、津波の経験と苦難を語り継ぐ貴重な記録だ。

 その一部は市の震災記録集や復興計画にも引用されたが、教頭(51)は「これを学校で活用するのは難しい」と言う。

 「今も気持ちの整理がついていない子もいる。つらい記憶を思い起こさせるようなことはできない」。市教育委員会からは防災教育の副読本も配られてはいるが、「当時の写真や映像をどこまで見せるべきか。避難の大切さは教えなければならないが、バランスが難しい」と思い悩む。

 一方で4年という歳月の重みを実感する。「この学校で震災を体験した教員はもはや2人しかいない。自分も震災後に赴任した。決して忘れてはいけない津波の教訓を子どもたちにどう伝えていけばいいだろうか」

 同じような迷いを親として抱いてきた男性は、飯岡海岸の植樹会場で前を見据えた。「少しずつでも話していかなければ。津波はいつ来るか分からない。とにかく命だけは守ってほしい」。すべての苗木を植え終わったころ、雨は上がり、海の向こうに薄日が差していた。


     
 東北や関東の沿岸に押し寄せた津波が人々の命や暮らしを奪った東日本大震災から11日で4年を迎えた。次代を生きる子どもたちの視点でその経験を振り返り、教訓を語り継ぐ試みが始まっている。

【神奈川新聞】

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