【ひとすじ】海洋冒険家・八幡暁(中) 「海は銀行」のしなやかさ

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2014/06/29 12:00 更新:2016/09/12 10:55
 宮城県沿岸をカヤックで北上して巡る海遍路の旅に出て5日目、海洋冒険家の八幡暁(さとる)(39)=逗子市=は港に着くと手早く身支度し、ふらりと散歩に出掛けた。

 その土地土地で漁師たちに話し掛け、捕れる魚や暮らしぶりに耳を傾けるのが八幡の流儀。車座になり、ときに数時間話し込むこともある。

 石巻港にほど近い佐須浜の漁師が八幡に語る。

 「『太平洋銀行』。ここらじゃ、冗談で海をそんなふうに呼んでんだ」。目の前に生活の糧をたっぷり蓄えた海さえあれば、食っていける-。

 東日本大震災は「海は銀行」のイメージをより強くさせているに違いなかった。60代というその漁師は津波で家財を流され、仮設住宅で暮らしていた。漁師は漁に出る傍ら、被災地を訪れるボランティアに食事を出すプレハブ建ての食堂を始めていた。話すうち、注文していないホヤの蒸し物、サザエの刺し身、コゴミのおひたしがテーブルに並んでいく。

 「いいんだ。食ってけ」

 日焼けした顔に不器用な笑みがこぼれた。

 国内外の港や漁村をカヤック一つで巡ってきた八幡にとり、それは初めてのことではなかった。来訪者を捕れたての魚介でもてなすのは、むしろ世界共通の振る舞いだ。

 「漁師たちは海の恵みを頂いているという気持ちが強い。だから分け合う。自然の圧倒的な力を知っているからこそ、独り占めなんかしたら罰(ばち)が当たると思っている人もいる」

 八幡は愉快そうに笑う。

 「海が銀行だとすれば、給料を引き出したサラリーマンが初対面の人にその一部を渡しますか。そんな人はいない」

分かち合う精神


 漁師たちにみる分かち合いの精神。そのすがすがしさに触れ、八幡は思う。「競争し、勝ち抜き、満たされなければ幸せを感じられないのと、分かち合って豊かになれるとしたら、僕は分かち合える社会のあり方を模索したい」

 父の最期の言葉を思い返していた。

 いわゆる猛烈サラリーマンだった。旧帝大を卒業後、大手電機メーカーに就職し、出世街道を生きた。

 2人の兄も有名大学を出て大手企業へ入社。かたや八幡は定職に就かず、海外へ出ては海で捕った魚を売りながら漁村を巡る道を選ぶ。

 退職間もない63歳で父は亡くなった。喉頭がんだった。八幡は28歳、覚えたてのカヤックでオーストラリアから日本まで1万キロの海洋を渡ると決心した頃のことだった。

 息を引き取る1週間ほど前、病床でかすれる声を絞り出し、言った。
 「暁のような生き方も、いいかもしれないね」

 その言葉の意味を八幡はいまも自身に問い続ける。

 「勉強して、働いて、上り詰め、最後の最後になってそんなことを口にする。つくづく人生って分からない」。父は語らなかったが、八幡の祖父は北海道でニシン漁を手掛ける漁師だったと、後に知った。親族が海で命を落とし、暮らしは一変、貧しくなったらしい。父は「だから勉強しなきゃいけない」と勉学に励んだのだと親戚から聞いた。

価値観の多様化


 「大切なのは価値観の多様化なのではないか」と八幡は言う。

 10年前、沖縄・石垣島にカヤックと素潜りをガイドするツアー会社を立ち上げた。「ガイドブックに載っている世界は、世界のほんの一面にすぎない」と穴場巡りを売りにする。

 都会での生活に疲れ、人生に迷い、まだ見ぬ自然に癒やしを求めて訪れる若者は少なくない。企業も働き手もグローバル経済の波にもまれ、競争の一本道にしか活路を見いだせないとすれば、落後への恐怖は常につきまとう。列島を覆う閉塞(へいそく)感の源がそこにある。

 気仙沼市本吉町蔵内の漁港。漁師が差し出したのは旬を迎えたホヤだった。
 「まずは自分が食べたかったっぺし。食べてみてください」

 震災後、ホタテやホヤの成長が早くなり味わいも良くなったという話をいくつもの漁港で耳にした。海の香りと豊かな甘みが口の中を満たす。新鮮だからこそ味わうことのできる絶品だ。

 「ヘドロだらけだった漁港の海底が砂地となったことで、海が本来持つ浄化作用が回復したのかもしれない。いずれにしても、海で生きる人々は『海は怖いから離れましょう』『コンクリートで固めましょう』という選択はしなかった」

 奇跡的に1隻だけ漁船が残った蔵内の港では、震災の年からホヤの養殖を再開したのだという。それまで個々で漁にいそしんできた5人が協力し、漁に出るようになっていた。

 漁師たちは口々に言う。「また津波が来たら、逃げればいい」

 まぶしげに海を見つめる目は、どこか笑みをたたえていた。しなやかな笑みだった。
=敬称略〈つづく〉

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