癒えぬ心の傷 米軍機墜落50年 大和で慰霊祭|カナロコ|神奈川新聞ニュース

癒えぬ心の傷 米軍機墜落50年 大和で慰霊祭

慰霊碑に手を合わせる参加者=大和市上草柳

米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)を離陸した艦載機が大和市の鉄工所に墜落、5人が死亡した事故から50年を迎え、13日には事故現場で慰霊祭が行われた。遺族や支援者ら約90人が集まり、再発防止への思いを新たにした。

慰霊祭は大和市内の「厚木基地爆音防止期成同盟」「市平和委員会」「憲法九条やまとの会」「大和の空を考える市民ネットワーク」の四つの平和団体が、事故を後世に語り継ごうと主催した。50周年に合わせて再建された慰霊碑の前で僧侶が読経する中、参加者が焼香した。

憲法九条やまとの会事務局長の斉藤竜太さん(75)は「これだけの住宅密集地域に飛行場があることがおかしい。基地撤去を実現しないと本当の意味での供養にはならない」と話していた。

事故は1964年9月8日に発生。厚木基地を離陸直後のジェット機が北側に約1キロ離れた舘野鉄工所に墜落し、爆発。経営者の舘野正盛さん(故人)の3人の息子を含む従業員ら5人が死亡した。鉄工所跡地は国が買い取り、現在は雑木林になっている。

「心の傷は何年たっても癒えるものではない。慰霊祭へ来ようかどうか、一晩考えたが、遺族を代表して感謝の気持ちを伝えたかった」。墜落現場となった舘野鉄工所を経営していた舘野正盛さん(故人)の四男で、兄3人を事故で失った男性(62)は声を絞り出すように切り出した。

「1番目と3番目の兄は即死。火だるまになった2番目の兄も、包帯で全身を巻かれたまま死亡した」。慰霊祭で男性は50年前のつらい記憶をたどった。

1964年9月8日午前10時55分ごろ、空母「ボノム・リシャール」所属のジェット戦闘機F8クルセイダーが、鉄工所に墜落。男性は当時、中学生で体育の授業中にドカン、ドカン、と爆発音を2度聞いた。息子3人を失った衝撃で母は精神科病院に入院した。

この年は県内だけで8件の墜落事故が起きた。鉄工所の事故の40分ほど前にも、厚木市旭町の相模川河川敷に米軍機が墜落している。

50年の節目となる慰霊祭を終え、男性は感慨深げに述べた。「これだけ大勢の人が集まってくれたということは、事故や騒音、犯罪など基地被害が今も現在進行形で続いているからだろう」

当時と比べ件数は減ったとはいえ、今も米軍機の事故は絶えない。12日には西太平洋上で空母艦載機2機が墜落。厚木基地でも昨年暮れ、基地所属のヘリコプターが三浦市で不時着に失敗した。墜落が多発しているとして安全性が懸念される新型輸送機オスプレイも沖縄から飛来するようになった。

「米軍は日本国民を守るためにいるのなら、整備など安全対策に配慮してほしい。日本政府も米軍機の安全対策や不平等な地位協定の改正について、米軍にきちんと要請するべきだ。兄たちの死を無駄にしてほしくない」

【神奈川新聞】

PR