神奈川と平成・みなとみらい(上)「モノクロの世界がカラーに」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川と平成・みなとみらい(上)「モノクロの世界がカラーに」

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2019/01/22 19:03 更新:2019/01/23 18:38
 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。目に飛び込む全てが新しい。光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。時はバブル景気真っ盛り。華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 

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