時代の正体〈656〉白井聡さんが語る「国体」からみえるもの-(中)|カナロコ|神奈川新聞ニュース

時代の正体〈656〉白井聡さんが語る「国体」からみえるもの-(中)

安倍政治を考える

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/12/07 10:22 更新:2018/12/08 10:07

不可避的な破滅の道


【時代の正体取材班=田崎 基】明治から戦前までの天皇中心の国体と、そこに置き換わる形で登場した米国中心の国体という構図がある。安倍首相を熱狂的に支持している人々がまさにこれを証明している。彼らの中には、政権と食い違う言動を取る天皇を批判し、さらには天皇のことを「反日」「左翼だ」と言ったりもする。

 「反日左翼」とは一体何か。本来は共産主義者の末裔(まつえい)のことだろう。共産主義者はかつて、「天皇制を廃止しなければならない」という主張によって、天皇の不倶戴天の敵に位置付けられていた。古い言葉を使えば共産主義者とは「朝敵」である。つまり安倍首相を熱狂的に支持している人の中には「天皇は朝敵だ」と主張している人たちがいるということになる。

 しかし、天皇は朝廷そのものなのだから論理的に倒錯している。ここから、彼らが事実上「天皇」と仰いでいる存在が別にあるということが示唆される。

 彼らにとっての本当の「天皇」の存在たり得るものは一体なんなのか。それはつまり「米国」であるとしか考えようがない。

仰ぎみる「米国」


 こういった屈折した精神状態について、単にばかげていると言いたいわけではない。大事なのは、ここには一般的な日本人の政治意識を煮詰めたものが見いだされるのではないか、ということだ。

 戦後、日本人は一般的に親米的といえる。米国に対して漠然と親近感を持っているのは普通の日本人だ。私たちはコカ・コーラやマクドナルドのハンバーガーを食べたり飲んだりするだけでなく、親米感情に基づいて米国流の新自由主義的なグローバル化を「正しいこと」と受け止めてきた。

 しかし、この「なんとなくの思い込み」を、政治的に明白な形で煮詰めていけば、安倍首相を熱心に支持する人々の思想にたどり着く。

 「私たちの天皇は、米国だ」という状態。これを首肯するのか。

 仮に国民の答えが「それでいい」ということであれば、日本の天皇はもういらない、ということになる。2016年8月の今上天皇による「お言葉」からは、そうした問いを読み取ることができる。

 「お言葉」が出てきたとき、一方で私は衝撃を受けたが、同時にこれは必然だとも思えた。米国が天皇として完全に機能するのならば、そのとき最も立場を失うのは日本の天皇だからだ。それだけの危機感が「お言葉」にはにじんでいた。

 これを聞いて私は、それまで考えてきたことが間違っていなかったと確信するに至った。

復興手段の目的化


 「国体論」が提示する仮説の歴史像とはどういうものか。

 「明治維新から敗戦」までが77年間。「敗戦から現在」も70年を超え、この双方の時間量がいま同等になりつつある。2022年には戦後も77年間となる。同じような長さになるのだから、同じような整理の仕方が可能なのではないか。

 私なりの整理では、戦前の国体の歴史は3段階に分けられる。

 第1段階は、明治維新からさまざまな領域での近代化革命があり、対外的には日清日露戦争という二つの戦争に勝ち、帝国主義国家へと成長していった段階だ。この時期は「天皇中心の国」という観念が制度的に確立された「国体の形成期」と呼びうる。

 こうして、独立を貫き一等国になるのだという明治日本の目標がある程度達成されたので、権威主義的国家体制がいったん緩む。これが大正デモクラシーの時代であり第2段階と位置付けられる。この時期には、自由主義化と民主主義化が進行し、同時に天皇の影が薄れた。

 ここで十分に自由主義、民主主義の国家になれればよかったが実際にはそうなれず、第3段階である昭和のファシズムの時代に入っていく。この路線は最終的に、大東亜戦争の敗北という形で国家の一大破綻を迎え、国体は崩壊した。

 戦前についてはこのように、歴史の軌道に関してかなり明確な整理がなされ、一定の共通認識がある。

 では、同じ程度の長さになろうとしている戦後史についてはどのように区分けし、時代を特徴づけられるだろうか。一般社会にも、政治学的にも、確たる共通の了解がない。...

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