戦争の悲惨さと愚かさを次世代に 横浜で語り継ぐつどい|カナロコ|神奈川新聞ニュース

戦争の悲惨さと愚かさを次世代に 横浜で語り継ぐつどい

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/08/05 02:00 更新:2018/08/05 02:00
 戦争の悲惨さと愚かさを次世代に伝える集会「戦争体験を語り継ぐつどい」が4日、横浜市南区の南公会堂で開かれた。「軍都」と呼ばれた福島県郡山市出身の武田美智子さん(82)=横浜市金沢区=と、横浜大空襲を体験した福田三郎さん(86)=同市港南区=が飢えに苦しんだ経験などを語り、参加した約30人と平和の大切さを確認した。
 
 9歳の時に終戦を迎えた武田さんは「雑草を食べ尽くし、ユリの花も食べた。どの家庭も餓死寸前で、明るく楽しい思い出はなかった」と戦時中の生活苦を振り返った。

 学校に弁当を持ってこられない児童も多く、弁当の盗難が起きた。「昼食時に近くなれば、弁当を守るために席を離れられなかった」

 授業中は田んぼでイナゴ狩りをさせられ、学校の大鍋で煮た。「昔のイナゴは大きく、後ろ脚を取らないと食べられなかった。貴重な栄養源だった」

 終戦後、米軍機からまかれた大きな缶詰を学校で分けて食べた。「ひどい食糧事情を救ってくれたアメリカに感謝した面もあり、複雑な心境はある」。武田さんはそう明かした上で「暗い時代に二度と戻ることがないように、若い世代に語り継ぎたい」と締めくくった。

 福田さんが1945年5月29日の横浜大空襲に遭ったのは13歳の時。焼夷(しょうい)弾が「カチン、カチン」と音を立てて次々と落ちる。焼死体やけが人が横たわり、助けを求める多くの人たちの声に戸惑いながら逃げ回った。

 避難先では食糧の配給はなかった。「焼け跡に流れる水に顔を付けて飲んだら口の周りが泥だらけになった」。4日目になって、ようやく1人に1本配られたふかしたサツマイモの味は「今も忘れられない」。福田さんは「今の平和を守らないといけない。国がどんなに立派なことを言っても人の殺し合いは絶対にやっては駄目」と力を込めた。

 戦争体験を語り継ぐ会が主催し、84年から例年この時期につどいを催している。

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