〈時代の正体〉やまゆり園事件と強制不妊手術【中】身勝手「善意」の暴走|カナロコ|神奈川新聞ニュース

〈時代の正体〉やまゆり園事件と強制不妊手術【中】身勝手「善意」の暴走

献花台に供えられた花束には「みんなをわすれないよ」というメッセージカードが添えられていた=相模原市緑区の津久井やまゆり園

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【やまゆり園事件取材班=川島秀宜、石川泰大】津久井やまゆり園(相模原市)で入所者19人が殺害された事件から2年。起訴された植松聖被告(28)は、なおも命の優劣に偏執する。旧優生保護法(1948-96年)に基づく強制不妊手術の証言を引き、事件に潜む優生思想と向き合う。3回連載の2回目。


 〈私を含め、周囲の人たちはみんなあなたの幸せを望んでいたはずです〉

 22年前、宮城県の飯塚淳子さん=仮名、70代=に中学時代の担任教諭から私信が届いた。飯塚さんは、16歳で卵管を縛る不妊手術を強制された。半世紀前の弁明が、後半につづられていた。

 〈それが、結果として、あなたに大きな不幸をもたらしたとは、本当に残念でなりません。善意が裏目に出たことに大きな衝撃をうけ、今更ながら自責の念にかられております〉

 1年後。貧困から飯塚さんを職親に預けた父親からも便りがあった。80歳で亡くなる直前だった。

 〈早く手術した方が安全だと通知があったのだ 妊娠されてからでは遅い〉

 飯塚さんは手術直前、軽度の知的障害とする無実の知能判定を受けていた。父親は、将来を思案した職親と民生委員から同意を迫られていた。

 〈印鑑押せとせめられてやむなく印鑑押(さ)せられたのです 優生保護法にしたがってやられたのです〉

 手術後、生理のたびに激痛で転げ回った。結婚しても子宮外の妊娠を余儀なくされ、生死をさまよった。腫瘍を患い、子宮と卵巣を摘出された。

 「幸せ」「善意」「安全」。2人が並べた美辞にぞっとする。

 「なんて身勝手なの。人生を狂わされたのは、わたし自身なのに」


 半世紀前。精神科医の岡田靖雄さん(87)=東京都=は、黒板に1人の名前を書き出した。中度知的障害の30代とおぼしき女性患者だった。勤務先の精神科病院は年2回、医局に強制不妊手術の候補者を挙げるよう課していた。

 岡田さんは助手として手術に立ち会った。本人の同意があったのか、だれが手術を申請したのかさえ、覚えていない。それほど「ありふれた日常」だった。

 岡田さんは精神医療の歴史をひもとくうち、精神疾患の遺伝性を強調する旧優生保護法の誤りに気付く。数年後に自著で暴いたが、賛同する同僚はほとんど現れなかった。先進的な医師がそろっていたにもかかわらず。

 「不良な子孫の出生防止」をうたい、1948年に施行された旧法はもともと、終戦後の人口抑制が狙いだった。大量の引き揚げ者や出産ブームで人口が急増する一方、食料や住宅不足が深刻化していたからだ。

 旧厚生省は都道府県に宛てた49年の通知で、本人同意なしの手術は「憲法の精神に背くものではない」と障害者の人権侵害を正当化した。神奈川県も手術費の補助制度を整備し、実績づくりにまい進する。

 東京大学大学院の市野川容孝教授(54)=社会学=は、その盲信(もうしん)を、戦後復興のための「公益」という大義と、健常者側の「善意」が支えていたとみる。

 60年代に入ると、経済成長の途上、高度な生産性を実現する国民の「質」向上が公然と語られ、「そこに優生政策がすっぽりとはまった」。

 一方、精神科病床は急増した。当時を知る岡田さんは「生産的でない人間は隔離すべき、という国民の需要があった」と打ち明ける。


 それは、植松聖被告(28)の妄言と重なる。生産能力のない障害者は不幸をばらまく-。「公益」のため、「不幸を最大まで抑える現実的な問題解決」(被告)が、45人殺傷として帰結した。市野川教授が危ぶむ「善意」が、ここに潜む。

 岡田さんは、被告を逆説的に「国民的英雄」とみていた。「国が、精神科医が、国民が、慢性的にやってきたことを、彼は一挙にやろうとしたわけだから」

 被告は実際、「国が動いてくれないなら、自分でやるしかないと思いました」と神奈川新聞の接見取材に答えている。逮捕後、自ら「救世主」と名乗り、ネットの賛同者は「神」ともてはやした。

 被告は依然、持説を独善と知らない。

 「善意」を暴走させた国家は、被害者への謝罪と補償を拒み続けている。

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