〈時代の正体〉やまゆり園事件と強制不妊手術【上】命の選別 癒えぬ痛み|カナロコ|神奈川新聞ニュース

〈時代の正体〉やまゆり園事件と強制不妊手術【上】命の選別 癒えぬ痛み

佐藤路子さん(仮名)は自作した桜色の腕飾りで「闇を照らしたい」と語る=宮城県

【やまゆり園事件取材班=川島秀宜、石川泰大】津久井やまゆり園(相模原市)で入所者19人が殺害された事件から2年。起訴された植松聖被告(28)は、なおも命の優劣に偏執する。旧優生保護法(1948-96年)に基づく強制不妊手術の証言を引き、事件に潜む優生思想と向き合う。


 東京都の北三郎さん(75)=仮名=は、その鋭刃が、我が身に向けられているように感じた。

 送検の車中、テレビ越しに不敵に笑った金髪の男は、「手間だから」と無防備の首を狙ったと供述していた。40分で45人が殺傷された。

 力ずくで生殺を支配し、命をもてあそぶ狂気を目の当たりにし、半世紀前に刻みつけられた古傷がうずいた。

 「あの手術と同じだ」

 北さんは、異母の弟ができると、実父からも疎まれ、13歳で仙台市内の教護院(現・児童自立支援施設)に預けられた。

 1年後、強引に連れられた産婦人科病院でズボンを脱ぐようせかされた。手術台に寝かされ、背中に注射を打たれた。意識が遠のいた。

 麻酔が切れた途端、下半身を激痛が襲った。睾丸(こうがん)が風船のように膨らんでいるのがわかった。両脚の付け根に、2センチほどの手術痕が赤らんでいた。1カ月後、教護院の先輩がささやいた。

 「子どもができない体になったんだよ」

 精管切断(パイプカット)だった。「なんで、おれがこんな目に遭わなきゃいけないんだ」。自身を見捨てた父親と教護院がたくらんだ手術と思い込んだ。家族と絶縁した。

 北さんはことし1月、さらに深刻な背景を知る。あの執刀は、旧優生保護法に基づいた強制不妊手術だった。国家が生命を選別していた。

 この真実を半世紀越しに明るみに出したのは、国を初めて提訴した宮城県の佐藤由美さん=仮名、60代=だった。

 由美さんは後天的に重度の知的障害を負ったが、「遺伝性精神薄弱」と診断され、15歳で卵管を縛る手術を強いられた。2017年7月に宮城県から開示された「優生手術台帳」が証拠だ。

 下腹部に10センチ近い切開の痕跡が残る。義姉の路子さん=仮名、60代=によると、当時はもっとおぞましい形相だった。由美さんに手術の記憶はない。尋ねても、かぶりを振って嫌がる。

 30歳ごろ、不妊手術が原因とみられる卵巣のう腫を患い、右片方を摘出した。内診しようにも、暴れて言うことを聞かない。看護師が押さえつけないといけないほどだった。「体が手術の痛みを覚えていたのでしょう。悲痛なほどの拒絶反応でした」。路子さんは思いやる。

 妹を傷つけた強制不妊手術とやまゆり園事件に、忌まわしい因縁を感じる。「悪法が息を吹き返したのかと、寒気がしました。また暗い時代に戻りそうで」

 腕飾りを自作し、訴訟を闘う北さんら同志12人に贈った。鮮やかな桜色を生地に選んだ。

 闇深い優生思想を照らそうと。


 旧優生保護法と強制不妊手術  ナチス・ドイツの断種法をまねた国民優生法が前身で、1948年に施行された。「不良な子孫の出生を防止する」とし、知的障害、精神疾患、遺伝性疾患を理由に本人同意なしの不妊手術を認めた。医師の判断で都道府県優生保護審査会に申請し、指定医が手術するよう規定。96年に母体保護法に改定されるまで、全国で少なくとも1万6500人、うち県内で462人が手術を強制されたとされる。ことし1月から、県外の当事者ら7人が国に謝罪と補償を求めて提訴した。

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