危機乗り越え450回超 本牧神社「お馬流し」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

危機乗り越え450回超 本牧神社「お馬流し」

埋め立て前の本牧地区から出港する祭礼船(1934年、横浜市八聖殿郷土資料館提供)

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 横浜市中区の本牧地域には古くから伝わる「お馬流し」という神事がある。本牧神社で約450年続き、県の無形民俗文化財にもなっている恒例行事だ。太平洋戦争、米軍の接収、本牧沿岸の埋め立てと数々の危機を乗り越え、次世代への継承を続けている。

 お馬流しは同神社で1566年に始まったとされる。神社で育てたカヤで、首から上は馬、胴体は亀の形をした「お馬さま」と呼ばれる人形を旧本牧六ケ村にちなみ6体作り、地域の災厄を託して手こぎの木造巡礼船で東京湾の沖合まで運び、海に流す。この間、お馬さまは「お馬板」と称する扇形のヒノキの板の上に安置され、決して目線から下げない。

 お馬さまは「水かき」といわれる尾を含め全長1メートルほどの大きさ。本牧地域の「陸方(おかかた)」と呼ばれる山側の地区の住民が作る。地区内を巡幸した後、「浜方(はまかた)」と呼ばれる海側の町内会が引き継ぎ、海上での「お馬流し」を担当する。現在は毎年8月の第1日曜日、または第2日曜日に行われている。

 その由来について同神社宮司の當麻洋一さん(51)は「始まったきっかけは文書に残っていないが、昔はお社が海沿いにあったことと関係があるのではないか」と推測する。「神聖な動物である馬と、浜で産卵して海に帰るウミガメを合体させた人形に、けがれや厄を運ぶ役割を託したのだろう。災いを確実に海へ流したいとの自然な考えがあったはず」という。

 室町時代から続くが、存続の危機にさらされたこともあった。

 1945年5月の横浜大空襲で本牧北部が甚大な被害を受け、神社の社も焼失。戦後は米軍の接収で境内に入ることができず、93年までは仮境内に鎮座せざるを得なかった。換地で土地が返還され、93年にようやく現在の場所に落ち着いた。

 また、60年代に根岸湾が埋め立てられ、お馬流しでにぎわった砂浜が消失。海の状態が変わって祭礼船の使用が困難になり、約50年間、漁船を使った。

 それでも続いたのは「住民の郷土愛の深さもあったが、古い所作など守るべきものは守りつつも、漁船の活用など柔軟な発想があったことも要因」と、當麻さんは相好を崩す。

 地域住民もこの神事を大切にする。海上でお馬流しを担当する本牧原地区の漁師の落合義久さん(55)は「祭礼船の維持管理は簡単ではないが、漁師町の宿命と考えている」。本牧新町地区の吉野広士さん(64)も「生まれた時から身近にある行事。続けるのはごくごく自然なこと」と語る。

 漁船を使用していた間は、お馬流しを見守る観客が減ったこともあった。だが、近年再びにぎわいが戻りつつある。

 理由の一つは、祭礼船の復活だ。50年代に造船され、神社の境内で保管していたが2013年に修復。地域住民にも喜ばれた。

 継承のため、子どもたちが活動する場も用意している。神社では3年前から祭りの際、境内で地元の中学生が吹奏楽を演奏している。當麻さんは「祭りに参加することで、将来の担い手になってもらえたらとの思いもある」と打ち明ける。地域住民らも漁港でお馬さまを守らせる大役「露払い」を小学校高学年の子どもたちに任せたり、祭礼船と伴走する同行船に子どもたちを乗船させたりするなど、祭りの楽しさを体感させている。

 何度も途絶える危機があったお馬流し。時代の変化に対応しながら、本牧地域の平安を祈り、災厄を流し続けてきた。

 當麻さんは「高度経済成長期には古い習俗を軽視する風潮もみられた。戦後の激動期に続けられたのも、子どもを祭りに積極的に参加させたからだと思う。これからも子どもたちの記憶にとどまるようにしていきたい」と話している。

 今年のお馬流しは8月4、5日に行われる。問い合わせは、同神社電話045(621)7611。

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