福島の被災地案内人 「原発事故からの復興、担い手と交流を」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

福島の被災地案内人 「原発事故からの復興、担い手と交流を」

Person 須摩修一さん

被災地ツアーの参加者とマイクロバスを降りて復興の現状について語る須摩修一さん=6月17日、福島県浪江町

 東日本大震災の津波と東京電力福島第1原発事故で被害を受けた福島県南相馬市や周辺被災地を訪れる交流ツアーの案内人だ。住民の帰還があまり進まない原発から10~20キロ圏を中心にマイクロバスを走らせる。川崎など首都圏から訪れた人々に、復興のいまを体感してもらっている。

 今月16、17の両日、41回目の交流ツアーが行われた。自らハンドルを握り、南相馬市南部や隣接する浪江町、双葉町を巡った。約20人の参加者は津波で更地となった海岸部、放射線の線量計が設置され、黒いシートに包まれた除染廃棄物が山積みとなった光景を目に焼き付けた。

 雑草が茂り、草いきれのするかつての住宅地に、廃虚となった小学校の校舎だけがぽつんと残っていた。マイクロバスを降り、現地のボランティアガイドとともに、あの日から約7年3カ月が過ぎた被災地の様子を語り始めた。

 住宅が立ち並んでいた海岸部では津波被害を受けた家の解体が進み、海まで見渡せる広大な更地に新堤防や防災林の整備が進む。ただ津波被害を免れた家に人は戻らない。外見上は問題なさそうだが人の気配はない。雨漏りやネズミの被害を受け、イノシシが侵入して死んでいることもある。

 「津波被害だけなら帰還はもっと進んだのだろうが、原発事故の恐怖で戻れない人たちがあまりに多い」のだという。除染が進む南相馬市内には現在、除染廃棄物の仮置き場が49カ所もある。

 交流ツアーでは被災者の話を直接聞く。原発から20キロ圏内にあり、自らも避難生活を送る寺の住職は、住民が離散したため各地域で行われてきた小さな祭りの継承が危ういと力説した。7年間途絶えた行事の再開は難しく、このままでは地域のコミュニティーは完全に崩壊してしまうと危機感を募らせていた。

 2012年8月から始めた交流ツアーの参加者は延べ約600人になった。初めての参加者は「被災の原野に立つとそこに人の暮らしがあったことを想像できない」「除染廃棄物が復興の難しさを物語る」と感想を漏らす。

 参加者の約6割はリピーターとなって再訪。「少しずつ前に進んでいるが復興の速度はあまりに遅い」「復興を強く願う地元の人たちを応援したい」と語り、担い手たちとの交流が続いてゆく。

 被災地の人々の思いを伝える自己表現映像制作で南相馬市を訪れたのがきっかけだった。都会から人を連れてきてこの現状を見てほしい、と泣きながら訴えた被災者に動かされ交流ツアーを始めた。

 「復興に向けて懸命な地元の人たちに接し、元気をもらうと、遠くで悩んでいることがばかばかしくなる。本当に苦労している人は苦労を楽しんでいるようだ。その心情に触れれば交流が生まれる」

 地元に根付き、教育による復興に取り組んでいるNPO法人南相馬サイエンスラボと連携し、「体力の続く限り」交流ツアーを続けていくと誓う。

 すま・しゅういち 1956年生まれ。繊維メーカーを53歳で退職。自己表現映像制作のDST(デジタル・ストーリーテリング)に出合い、南相馬市で被災した小学生や保健師らの作品を制作。川崎市幸区在住。62歳。交流ツアーの問い合わせは電話090(2521)1996。

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