時代の正体〈610〉盾とならぬ市の錯誤 川崎ヘイト集会問題|カナロコ|神奈川新聞ニュース

時代の正体〈610〉盾とならぬ市の錯誤 川崎ヘイト集会問題

ヘイトスピーチ考 記者の視点=川崎総局編集委員・石橋学

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/06/10 12:32 更新:2018/06/18 13:38
時代の正体取材班=石橋 学】放課後の公園には子どもたちの元気な声が響いていた。ボールを追ったり、滑り台を駆け上がったり、そんなありふれた光景を、私はしかし、心穏やかに眺めることができないでいた。

 コンクリート製のベンチには肌色のガムテープで目張りがしてある。この下には決して目にしてはいけない悪罵が閉じ込められている。カメラを構えていると、人懐こそうな女の子たちが近づいてきた。

 「ねえ、ここに何て書いてあるの?」

 聞けば小学2年生の双子の姉妹。答えに詰まり、息をのんだ。

 「きのうまでは、何も貼ってなかったんだよ」

 高津区の公園や広場のベンチ、柱などで11件の差別落書きが見つかったと川崎市が発表したのはその前日、7日夜のことだった。私の目の前のベンチには黒いペンで「在日コリアンは日本を滅ぼしたい」と書き付けられていたはずだった。

 一体どれだけの目に触れてしまったのか。いや、言葉による暴力が日常の暮らしの場に記されたと耳に入っただけで、標的とされた在日コリアンがどれほどの絶望に打ちのめされたか。

 少女たちは無邪気に言う。

 「でも、字がまだ読めなかったの」「でも、友達のお母さんが悪口が書いてあるのよって教えてくれたよ」

 悪口どころではないんだよ、と私は言えなかった。矢継ぎ早に聞かれても何も答えられなかった。

 「誰に向かって書いたの」「誰が書いたの」「3年になったら習う字かな」

 恐る恐る私は聞いた。

 「クラスに外国人の友達っている?」

 2人はキックスケーターで走り回っている男の子を指さし、「あの子は中国か、ほかの外国から来たんだよ」「練習して、日本語しゃべれるようになったんだよ」

 夕暮れの公園を出る。小さくほほえみを向ける福田紀彦市長のポスターが目に留まった。

 「『最幸のまち』かわさき」

 どこが「最幸」なのかと、私は思う。

 3時間後、川崎市は新たに21カ所35件の差別落書きが見つかったと発表した。記録が残る過去5年で市内で確認された差別落書きは3件だった。わずか3日間で市内4区の26カ所で46件もの被害が生じているという、かつてない異常事態である。

遺憾


 だがなぜだろう、外国人施策を担う市職員に人権を守ろうという意識は皆無だった。

 「書かれた文言は人権侵害ではないのか」

 私の質問に市人権・男女共同参画室の担当者は「人権侵害の恐れのある事象」という言い回しで明言を避けた。公的機関としてやるべきことはないのか、と問いを重ねたが、「誰が書いたかも分からず、警察の捜査を見守るしかない」と繰り返すばかりだった。

 「書いた人物が誰であろうと被害は生じている。ただちに差別を非難し、人権侵害をやめるよう呼び掛けるコメントをなぜ出さないのか」

 やはり答えは同じだった。

 一体、何を守りたいのか。レイシスト(人種差別主義者)に公的施設の使用を許可するか否かを巡る市の対応で浮かんだ疑問が再び頭をもたげた。

 5日、福田市長の定例会見。質問はその2日前、差別扇動を長年繰り広げてきた極右活動家、瀬戸弘幸氏が市教育文化会館で計画したヘイト集会の問題に集中した。

 市が会館の使用を許可した結果、周辺には約400人の市民が抗議に集まった。参加者を取り囲んで足止めし、会場入りさせないようにした。やって来たのはヘイトデモの常連参加者たちだった。レイシストによるヘイトクライム(憎悪犯罪)の代理人を引き受けていることで知られる徳永信一弁護士が会場入りを諦めると、瀬戸氏は講演会の中止を決定した。

 受け止めを問われ、福田市長は言った。

 「現場が混乱したのは大変遺憾。市民の気持ちは分からないでもないが、実力行使で集会を開かせないのは望ましい姿ではない」

 誰も望んだ行動ではなかった。市民は午前中にも館長に電話を入れ、不許可にするよう求めている。引き起こされようとしている人権侵害から市が守ってくれないなら、市民が盾になるしかなかった。それは正当防衛と呼ぶべき、やむにやまれぬ行動だった。

 市長は「何人たりとも集会の自由がある」とも強調した。その通り。しかし、目の前で起きようとしていたのは差別だ。集会の自由、表現の自由が保障するものではない。市が判断の正当性に持ち出すなら、こう言わなければならない。

 「何人たりとも人を差別し、おとしめてはならない」「何人たりとも差別されない権利を有している」

 そして集会の自由を本当に重んじているわけではないことは、おおもとの原因であるレイシストへの使用を許可しておきながら、混乱を理由に、市民が同じ会館の空き室を使用できない措置を取ったことからも分かる。

 「遺憾」という言葉を向けるべきはだから、自らの判断が招いた結果としての「混乱」に対してであり、そして、レイシストに対してであるはずだった。...

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