神奈川新聞と戦争(72)1943年 社長の詩 皇軍たたえ|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(72)1943年 社長の詩 皇軍たたえ

樋口宅三郎の詩を載せた1943年1月1日付本紙。上は平出英夫海軍報道課長の談話

 続いて1943年元日の本紙。「一県一紙」の政策で県内地方紙が統合され、前年2月1日に神奈川新聞社が発足していた。

 1面は「玉体益々(ますます)御健(すこや)かに」の見出しで「天皇陛下の御精励」を伝え、古賀峯一横須賀鎮守府司令長官、近藤壌太郎知事らの談話を掲載。2面は真珠湾攻撃以来の「戦果」を羅列した。

 「軍港で建艦運動」と題した同じ面の記事は「銃後市民が戦果を挙げる番だ」「一隻を失へば二隻を造る」と、軍艦建造のための献金を求める横須賀の市民運動を紹介。「徹宵(てっしょう)[夜通し]の祈り 伊勢山へ相つぐ参拝者」という記事は、横浜の伊勢山皇大神宮に多くの「家族部隊」(銃後の家族をそう称した)が訪れ、「夫や父や兄の武運長久」や「戦争完遂」を祈ったと伝えた。

 同記事は短いながらも、街の様子を描写した。「師走の街々には目抜きの要所々々に張られた翼賛会の『二年目も勝ち抜くぞ、増産へ、貯蓄へ』のポスターも」「聞きなれた除夜の鐘は金属回収に応召され、戦車や軍艦に門出したため一抹の寂しさはある」

 3面は「大本営発表」のメディア対応を担った海軍報道課長、平出英夫の談話を「長期戦と制海」の見出しで掲載。注目はその下の囲み記事だ。「一粒も又(また)国力」と題した22行の詩、作者は樋口宅三郎。神奈川新聞社の初代社長である。

 「信倚(しんい)[信頼]すと大みことのり[大詔=天皇の言葉、ここでは宣戦]宣(の)らせ給(たま)ふ[おっしゃる]心魂に徹しはらはたに泌(にじ)む(略)祖父の祖父もまたその祖父も知らざりし大みいくさ[大御軍=皇軍]の戦士ぞわれも(略)五尺二寸五分[158センチ]十三貫五百匁[50キロ]の微々たるわれも国ぢからの一(略)かすかなる存在ながら国ぢから成すと思ふにふるはざらめや[奮起しないことがあろうか](略)軍神に流るるあかきすめらぎ[天皇]の国たみの血はわれにも流る」

 天皇の宣戦布告の言葉を信じる。史上初の戦に臨む我々も皇軍の戦士である。小さな私も国力の一端である。「天皇の国民」の血は私にも流れている-。樋口はこの詩で「皇国」の神聖性を誇張し、戦争の正当を強調した。銃後の一人一人までも戦争に巻き込む「総力戦」に加担した。

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