横浜大空襲、体験者が見た「地獄」 講演で「繰り返さぬ」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

横浜大空襲、体験者が見た「地獄」 講演で「繰り返さぬ」

横浜大空襲の体験を語る座古さん=横浜市中区の横浜上野町教会仮会堂

 横浜の中心部が焼夷(しょうい)弾爆撃にさらされ、多くの犠牲者が出た横浜大空襲の惨劇を語り継ぐ集いが26日、横浜市中区の横浜上野町教会仮会堂で開かれた。空襲被害に遭った同区在住の2人が生々しい体験を語り、平和の尊さを訴えた。

 「全身にやけどを負った人たちがみんな川の中に飛び込み、息絶え、無残な状態で浮いていた」。1945年5月29日。当時9歳だった座古秀子さん(82)は、震える声で「地獄のような光景」を思い起こした。

 米軍による機銃掃射から母とともに必死で逃げた際の記憶を回顧。「母は生い茂ったササの葉の中に私を隠し、その上に自身の体を伏せて命がけで私を守ろうとしてくれた」。その後、防空壕(ごう)に避難して命拾いしたが、石川町にあった自宅に戻ろうとするも一面が焼け野原だった。「どこもかしこも真っ黒の死体の山。死臭がひどく、とにかく恐ろしかった」

 座古さんが公の場で体験を話すのは今回が2回目。「二度と同じ過ちを繰り返さないため、今後も積極的に発信したい」と話す。

 当時5歳だった金子光一さん(78)は、友達と遊んでいた時に空襲に遭った。「空き地のような所で、戦火を逃れた人たちと一夜を明かした。夜、親がいないことに気づいて泣きじゃくった」。時折言葉を詰まらせながら当時を振り返り、「戦争がいかにあってはならないものか、反省とともにかみしめたい」と呼び掛けた。

 集いは「本牧・山手九条の会」が主催し、15回目。約50人の参加者が体験談に耳を傾け、不戦の誓いを新たにした。空襲の体験者が高齢化し、記憶が薄れゆく中、同会の阿部勝二事務局長(74)は「戦争の実態を次世代に引き継いでいかなければならない」と、継承の大切さを強調した。

PR