神奈川新聞と戦争(71)1942年 「報道」なき元日紙面|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(71)1942年 「報道」なき元日紙面

「皇軍感謝特輯(とくしゅう)」と題し東条英機首相の談話などを載せた1942年1月1日付本紙1面

 空襲を巡る本紙とその前身、横浜貿易新報の報道を巡る考察から少し離れ、大戦中の本紙の元日付紙面をひもとく。
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 1941年12月8日の真珠湾攻撃に「勝利」した興奮もさめやらぬ42年の元日付紙面は、その題字以外はおよそ「新聞」といえるものではなかった。

 1面トップでは、松平恒雄宮内相の「謹話」が皇室の近況を報告。天皇は「宵(しょう)衣(い)旰(かん)食(しょく)」(天子が政治に精励すること)にもかかわらず「御健勝」とした。その下には、首相で内務相と陸軍相も兼務した東条英機の談話。「東亜の禍根たる米英に対し一度戦端開かるゝや、日ならずして世界戦史に稀(まれ)なる赫々(かっかく)たる幾多の大戦果を挙げ」と自賛した。

 隣は外務相、文部相の談話。その下には同盟通信のローマ、ベルリン特派員の配信記事があり、それぞれ「迎春とともに独伊大攻勢か」「対ソ戦勝利の秘訣(ひけつ)」の見出しで大戦の観測を伝えた。さらに下には、労働力提供などを目的に全国の市町村に設けられた「銃後奉公会」のうち、相模原など県内5カ所の奉公会長の談話が掲載された。

 2面は松村光麿知事、半井清横浜市長、村井八郎川崎市長をはじめ県警や横浜地裁、商工会議所など官民の要職の談話で埋まった。「想へ!第一線の労苦を」「新春に際し郷土の将士諸君に感謝す」など、戦意を高揚する見出しの数々。続く3、4面にも地元名士のコメントが羅列された。

 4面の左半分では銃後の女性の美談を書き立てた。

 「靖国の妻強し 六人の子女を抱へて多角農業」と題した記事は「夫は大陸の土と化し留守宅に十五歳を頭に男女六人の子供を抱へ」ながら、田畑を守る女性を「超勤労」とたたえた。

 「軒昂(けんこう)たり勤労姉妹の意気」という見出しを掲げた記事の書き出しは「長兄は中支で戦死し次兄は目下応召中」。いずれも、肉親を戦争で失った人々の悲しみには寄り添っていない。

 このように、42年1月1日付の本紙は「戦意高揚コメント集」に終始した。そこに「報道」はない。

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