神奈川新聞と戦争(69)1931年 無差別爆撃の「思想」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(69)1931年 無差別爆撃の「思想」

錦州爆撃を伝えるとともに「張学良を膺懲せよ」とした1931年10月9日の横浜貿易新報

 軍事評論家の前田哲男は著書「戦略爆撃の思想-ゲルニカ-重慶-広島への軌跡」で、1938年に始まった日本軍による中国・重慶への爆撃を「無差別地域爆撃」の「一つの始原」と位置づけ、航空機による爆撃の戦法を「眼差(まなざ)しを欠いた戦争」と表現した。

 それは「戦争と人間とのかかわり方」を一変させるものだった。「前線」と「銃後」は従来、画然と分かれていた。戦闘行為は、武器を手にした両軍の兵士が近距離で相まみえる前線だけで行われ、戦いを物心両面で支える銃後は文字通り前線から遠く離れ、戦禍に巻き込まれることはなかった。ところが空襲は、その境界をなくし、両者での大量死をもたらした。

 それ以上に前田が着目したのは、前線、銃後の領域的な差異だけでなく、書名にもある「思想」だった。

 「重慶の人々はだれ一人として、自分の命を奪おうとする日本軍兵士を目にすることはなかった(略)日本軍は一兵たりとも重慶の地に姿を現さなかった。ひたすら上空から爆弾を投下することでのみ、日本兵は重慶の人々と相対した」

 兵士たちから殺意、つまり殺人の意識が薄れる。殺人という行為の生々しさが捨象される。「苦痛にゆがむ顔も、助けを求める声も、肉の焦げる臭いも、機上の兵士たちには一切伝わらなかった」

 それを前田は「機械化された殺戮(さつりく)」と名付けた。人間を疎外する近代社会の極限である。そういう疎外の「思想」が東京や横浜の大空襲、そして広島、長崎の原爆投下に行き着いたことは言うまでもない。

 満州事変に伴う31年10月8日の関東軍による錦州爆撃は、その先駆けだった。本紙の前身である横浜貿易新報は、戦争の姿だけでなく人間同士の関係性をも変えた大事件の思想性に気づくことなく、ただ日本に敵対した満州(中国東北部)の軍閥、張学良を「膺懲(ようちょう)[懲らしめる]せよ」と訴えるばかりだった。

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