なるようにしかならん 智弁和歌山監督 高嶋仁|カナロコ|神奈川新聞ニュース

なるようにしかならん 智弁和歌山監督 高嶋仁

全国のライバル編 64/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/03/19 02:00 更新:2018/04/02 16:58
神奈川高校野球100回大会 「おまえら年寄りの打つ球も捕れんのか!」

 2月上旬の智弁和歌山グラウンド。4年ぶり12度目の選抜大会出場に向け、少数精鋭でわずか22人という部員たちの練習が熱を帯びていた。ノックバットを握るのは、春夏甲子園で歴代最多64勝を誇る智弁和歌山の高嶋仁(71)だ。

 23日に開幕する選抜大会で監督としての出場回数(37回)でも単独トップに躍り出る名将を和歌山に訪ねた。

 3度の優勝をはじめ、甲子園で数々の名勝負を繰り広げてきた高嶋だが、甲子園での神奈川勢との対戦は2度しかない。思い出を尋ねると「あまり覚えてないなあ」と短く刈り込んだ頭を笑顔でかきながら、記憶をたどってくれた。

 2000年春。当時就任1年目、弱冠30歳の門馬敬治が率いる東海大相模と対したのが、センバツ決勝だ。3度目の全国制覇が懸かった大一番で立ちはだかったエース右腕の筑川利希也(現ホンダ投手コーチ)を忘れるはずはなかった。

 「やっぱり強烈に印象に残っているのはあのスライダー。うちの子はほとんど打てなかった」。落ちながら横に切れる変化球を武器に、内外角を強気に突く投球に自慢の打線が手玉に取られた。

 一回と三回の2死二、三塁、九回の2死一、二塁を逸するなど、東海を上回る11安打を放ちながら10残塁で2-4と敗北。「筑川君はここぞというときに速い球が決まり、高校生としては一流の投手。春にあれだけの球を放られたら打てない」が当時の高嶋の敗戦の弁だ。それでも「優勝を狙いに来たチームじゃないだけに選手はよくやった。決勝戦の雰囲気に慣れただけうちとしては収穫」と選手をねぎらったのには理由があった。

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