神奈川新聞と戦争(68)1931年空襲の実態 既に熟知|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(68)1931年空襲の実態 既に熟知

錦州爆撃をリアルタイムで報じた1931年10月9日の横浜貿易新報

 「【奉天八日発電通至急報】我国飛行機は八日午後二時三機編隊を以(もっ)て錦州上空に到達爆撃を開始した」

 1931年10月9日の横浜貿易新報(横貿、本紙の前身)に掲載された、たった1行の記事。これが日本による初の空襲とされる錦州爆撃だ。関東軍作戦参謀だった石原莞爾は、中国東北部の遼寧省錦州市を12機の爆撃機で空襲した。

 満州事変の発端となった柳条湖事件(同年9月18日)から20日ほど。自作自演とされる南満州鉄道の線路爆破を、当時、関東軍は軍閥の張学良による破壊工作だと主張した。その張が錦州に拠点を築いていた。

 翌10月10日の横貿には、本文わずか11行の記事だが「張学良氏の対日戦意 日支[日中]双方緊張」の見出しとともに「張学良氏は満州各地に四散せる軍の錦州集結を図つてゐる」と報じた。続く11日には「錦州攻撃事件に関し連盟の緊急理事会」の見出し。空襲を巡り国際連盟が緊急に理事会を開く、という。隣の記事は、連盟が日本に厳しい「最後的判決」を下すと期待する張の動向を伝えた。

 改めて同9日横貿。「錦州の爆撃を開始」の記事の隣に、同じく【奉天八日発電通至急報】のクレジットが入った「錦州政府を認めず」との記事がある。

 「八日正午営口より出動した我軍飛行機は錦州上空に於て東北四省の策源地[後方基地]錦州政府を認めず暴虐なる張学良を膺懲(ようちょう)[懲らしめる]せよとの左の如(ごと)き市民に対するの書を散布した」。張は民意に反して仮政府を樹立し、日本の勢力圏をも侵そうとしているが、関東軍は権益や民衆の保護に努力している-。空襲を正当化する内容だ。

 大前治著「『逃げるな、火を消せ!』戦時下トンデモ『防空法』」は、太平洋戦争末期の米軍による空襲に遭う前に、日本は空襲の実相を熟知していた、と指摘する。それが錦州爆撃であり、日中戦争での重慶爆撃だった。「加害者の論理」を知っているからこそ、軍や政府は日本国民にその実態を伝えなかった。

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