恩師と友人に支えられ 花咲徳栄監督 岩井隆|カナロコ|神奈川新聞ニュース

恩師と友人に支えられ 花咲徳栄監督 岩井隆

全国のライバル編 59/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/03/12 02:00 更新:2018/03/12 17:35
神奈川高校野球100回大会 昨夏の第99回全国選手権大会で、埼玉勢61度目の挑戦で初めて夏の日本一に輝いた花咲徳栄。「破壊力」を合言葉に、6試合61得点と打ち勝ったチームの最大の転機を監督の岩井隆(48)は、こう言い切った。

 「サガミに負けたからです。細かい野球じゃなく、一発の怖さがないと駄目。本気で強力打線をつくらないと甲子園では勝てないと、あそこから変わりました」

 2015年夏の全国選手権大会準々決勝だった。花咲徳栄は小笠原慎之介(中日)吉田凌(オリックス)の二枚看板を擁する東海大相模との大一番を迎えていた。

 岩井と東海大相模監督の門馬敬治は同い年。指導者になってからすぐに親交を深め、年に数度の練習試合で腕試しをする間柄だった。岩井は高ぶっていた。「同い年だし同じ苦労をしてる。境遇が似てるんです。彼の礎に原貢さんの野球があるように、俺には、稲垣さんの野球があるから」

 恩師・稲垣人司との出会いは、埼玉での中学時代だった。

 地元の強豪校入りを希望しながら、見学に行くと監督に「背が低いやつは駄目だ」と門前払いされ、失意の中にいた岩井は、たまたま友人の付き添いで東京・創価の練習に訪れたという。

 前年の1983年夏に創部16年目で甲子園初出場に導き、栗山英樹(日本ハム監督)らを育てた名指導者は、14歳の岩井にこう語ったのだった。「体の大きいやつがホームを踏んで2点になるならおまえはいらない。だけど野球は、誰がホームを踏んだって1点なんだ」

 「この人から野球を教わりたい」-。少年は運命を感じた。

 その冬。稲垣が創部わずか7年目の桐光学園の監督に就くと聞いた。桐光はその夏に法政二、横浜を退けて県ベスト8に名を連ねた勢いのある新興校だった。「稲垣さんがいるなら北海道でも、沖縄でも行ってました」
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