【震災7年】被災者「心では泣いている」 横浜で苦難の日々語る|カナロコ|神奈川新聞ニュース

【震災7年】被災者「心では泣いている」 横浜で苦難の日々語る

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/03/11 02:00 更新:2018/03/11 02:00
 紙一重で命をつなぎ、どうにか前を向けるようになった。東日本大震災の津波で大切な人やわが家を奪われた岩手、宮城県の3人が10日、横浜市神奈川区で催された震災関連行事で、あの日の記憶を振り返り、今も続く苦難の日々を率直に語った。油断もあった避難の教訓、復興の矛盾。7年の節目を前に絞り出した言葉には、「災禍を繰り返すまい」との強い思いがこもっていた。

「心では泣いている」 岩手・山田町 浦辺利広さん


 いつもと同じように、ざっくばらんに本音を打ち明けた。岩手県山田町の自宅兼店舗を津波で失った浦辺利広さん(61)。4年半に及んだ横浜での避難生活を経て、再建の一歩を踏み出した古里で抱く思いを語った。

 「矛盾した話が多い」。高さ10メートルもの防潮堤の建設、かさ上げによるまちづくり、集落の高台移転。スピード感を欠いた復興に疑問を覚える中、不動産業者に投資を持ち掛けられた。「お宅の空いている土地にアパートを建てないか」

 費用は「1室当たり1千万円が相場」という。浦辺さんは首をかしげた。「8室なら8千万円もかかる。今はアパートが足りないようだが、そんなの2~3年で余るようになる。復興ブームに乗った経済しか考えていないのだろうか」

 海沿いの自宅跡は更地のまま。高台に別の土地を求め、新築した住まいで暮らすものの、「意欲が湧かない。仮設住宅で元気が出ない人の気持ちが分かるような気がする」。生活の糧である釣り船で海に出る頻度は少なくなった。「明るくしゃべっているが、心の中では泣いている」

 震災当日は「3メートル」と予想された大津波警報を聞いて「防潮堤を越えることはない」と避難せず、津波にのまれそうになった。その時の反省も率直に語る姿勢が共感を呼び、講演は100回を超える。避難生活を送った横浜では、横浜駅西口のビルで住み込みの管理人として働いた縁から消防団に入団。「罪滅ぼしのような思い」もあった。

 久しぶりに再会した横浜の知人らに、こう呼び掛けた。「家族や地域での話し合いや訓練にマイナスはない。仲の良い人たちと手を取り合って、生きてください」

災害の中、夢見つけ 宮城・東松島市 語り部グループ


 宮城県東松島市で被災した高校2年、武山ひかるさん(17)は震災当時は市立大曲小学校4年生。学校に迎えに来た母らと車で高台へ避難したが、「寒いね。おなかも減ったし、服もない」と夕方になって自宅へ戻ることにした。

 途中で車が水没しそうになり、どうにか脱出。停電で周囲の状況が分からず、浸水していることに気付かなかった。

 「あと一歩遅かったら、私も死んでいた」。節目の日を前にしたこの日の講演で、そう振り返り、「津波は1回だけでなく、2波も3波も来る」と逃げ続ける大切さを強調した。

 「私は家族に会えてよかったが、大切な友人を亡くし、それを受け入れるまで何年もかかった。経験した人が伝えていかないと、自分と同じ目に遭う人が出てしまう」。そう決意した2016年夏から、東松島市の同世代の女子でつくる語り部グループ「TTT」の一員として活動を続けている。

 同じ小学校の2年先輩だった大学1年、添田あみさん(19)も、親友を亡くした。小学校から避難する前に交わした「バイバイ」が最後の言葉だった。

 「これ以上、後悔したくない」。そんな思いに突き動かされ、17年夏に「TTT」に加わった。語り継ぐ役割とともに、新たな目標へと歩み始めている。「避難所には大勢のボランティアが来てくれて有り難かった。私も人の役に立ちたいと思い、今は社会福祉士になるために勉強している。それが災害の中で見つけた将来の夢です」

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