「自分以上」という幻影 早稲田実業 荒木大輔(下)|カナロコ|神奈川新聞ニュース

「自分以上」という幻影 早稲田実業 荒木大輔(下)

全国のライバル編 51/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/03/03 02:00 更新:2018/03/03 02:00
神奈川高校野球100回大会 早実のエース荒木大輔にとって、1982年春の全国選抜大会は、もう4度目の甲子園だった。準々決勝で相まみえた横浜商(Y校)に、1-3で逆転負けした。

 「感想ですか? うーん、エースの三浦さんのカーブがすごかった。あとは、天気があまりよくなかったですね。小雨か、曇りだったか…」

 正直に言えば、試合展開は「あまり覚えていない」ということだ。

 荒木は先制の援護をもらいながら、七回に2本のタイムリーで逆転を許し、さらに最終回には自らの暴投で決定的なダメ押し点を与えている。

 試合展開を説明しても、当人は「そうでしたっけね…」。それも仕方ない。荒木はその夏を含め、5度の甲子園で計17試合も投げている。通算12勝5敗。「一戦の重み」が、並の選手とは違うのだ。

 Y校にとって「早実の荒木」はやはり特別だった。監督の古屋文雄とエースの三浦将明らが、試合前日に本紙の座談会で語り合っている。

 「めったに巡り会えない投手」

 「騒がれているピッチャーなので打ちたい」

 当時の本紙記者はこう記していた。

 「Y校は試合に勝つ前に、まず『早実』と『荒木』の名前に勝たなければならなかった。試合前のノックではぽろぽろ球をこぼし、送球も外れがち。古屋監督も『こちこちになっているなあ』と、何とか選手の気持ちをほぐそうとしていた」

 三浦は本連載での取材で、「荒木さんに勝った時は天にも昇る気持ち。自分の中では天国」と、最上級の言葉で荒木の存在を述懐している。

 Y校の過剰とも言える「荒木意識」を改めて荒木に伝えると、急に口調に熱が帯びた。

 「そう。僕らは『それ』でけっこう、勝たせてもらったんですよ」
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