雑草から咲いた大輪と負けん気のスラッガー 橘学苑 黒木優太 横浜隼人 宗佑磨|カナロコ|神奈川新聞ニュース

雑草から咲いた大輪と負けん気のスラッガー 橘学苑 黒木優太 横浜隼人 宗佑磨

現役ヒーロー編 43/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/02/19 02:00 更新:2018/02/19 02:00
神奈川高校野球100回大会 神奈川が生んだ期待の若武者2人がオリックスのチームメートとして、プロの舞台で輝き始めた。右腕黒木優太(23)=橘学苑出身=とスラッガー宗佑磨(21)=横浜隼人出身。無名の高校時代に鍛えられた経験を糧に夢をつかむ。(敬称略)


雑草から咲いた大輪 黒木優太


 「神奈川って結局は横浜か(東海大)相模ですからね。どっちか。だけど絶対的に強いところでも負けるかもしれない。高校野球の魅力ってそこかもしれませんね」

 自身の橘学苑時代と重ね合わせてそう話す黒木優太。オリックスでのルーキーイヤーで、“番狂わせ”をやってのけた右腕だからこその感想だ。

 昨季は55試合に登板して6勝3敗2セーブ25ホールド。田中正義(ソフトバンク)佐々木千隼(ロッテ)柳裕也(中日)ら華々しくプロ入りした同期の大型新人らを押しのけてみせた。

 元女子校の新興勢力・橘学苑で野球部5期生だった黒木は、ほとんど無名の青春時代を過ごした。「グラウンドが狭いから弱いと思われるのは絶対に嫌だったし、限られた環境でどうしたら強豪校に勝てるのか、ずっと考えて練習してきた。だから大学でも成長できたし、プロになった今も、すごく生きている」

 高校3年、最後の夏は強豪相手に、真っ向勝負で散った。2012年の神奈川大会3回戦。グラウンドは狭く、外野ノックもできない練習環境で育った雑草軍団が、東海大相模と対峙(たいじ)していた。

 入学時は遊撃手。「相手の選手全員と戦えるピッチャーには憧れていました」というが、まだ野球で生きていくと決めていたわけでもなかった。同期のエース候補が右肘のけがで戦線を離脱した2年秋、監督の石黒滉二から強肩を買われ、チームを支える形で投手に転向したのが大きな転機となった。

 晴れ舞台で、黒木は立ち上がりから最速146キロの速球とスライダーで攻めた。だが、0-0の五回1死二塁に「今でも忘れられない」というビッグプレーが飛び出す。中飛に打ち取った直後、東海大相模の二走が一気にタッチアップでホームにかえってきたのだ。続けざまに3連打を浴び計3失点。「自分もどこかで気が緩んでいた。あれから意識が変わりました」

 その秋にはプロ志望届も出したが、ほとんど実績がない右腕の名前が、ドラフト会議で呼ばれることは当然、なかった。

 「あの日から、ちゃんと選ばれるためにはどうすべきか、ずっと考えていた。もうこんな思いは絶対にしたくない。だから、頑張れたんです」

 その後進んだ立正大も東都大学リーグの2部。1年秋からエースの座をつかんで通算16勝した最速153キロ右腕として、4年後にはドラフト候補に成長したが、名だたる有力候補の中では地味な存在にすぎなかった。

 まさに雑草から咲いた大輪の花は、実感を込めてこう語る。「プロになるって、本当にずっと一流だった人以外はちょっとしたきっかけ。高2の秋にピッチャーがいなくて自分がやったことで、結果プロに来られた。もし強い高校に行っていたら埋もれていたかもしれないし、順調に大学に行ってもそこで成長が止まったかもしれない。本当に橘学苑を出てよかったと思っています」


くろき・ゆうた  日吉台中-橘学苑-立正大-オリックス。高校時代は2年秋に投手に転向。3年夏の神奈川大会は3回戦で敗退した。立正大では東都大学リーグ2部で16勝12敗、防御率1・74。オリックスからドラフト2位で指名されて入団した昨季はルーキーながら55試合に登板し、6勝3敗2セーブ25ホールドの好成績を残した。横浜市出身。23歳。
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