神奈川新聞と戦争(65)1933年 部数を盾に言論弾圧|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(65)1933年 部数を盾に言論弾圧

 敵機の首都上空侵入を許した時点で戦争は負けである。空襲に備えた訓練は、つまり敗北の想定に他ならない-。1933年8月に行われた関東防空大演習を巡り、信濃毎日新聞の主筆だった桐生悠々は同月11日の社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」で主張した。第1次大戦を顧みても「航空戦は、ヨーロッパ戦争において、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝利であり、空撃されたものの負である」。

 いち早く敵機を探知し、海上で迎撃する態勢がなければ、演習は「何等(なんら)の役にも立たないだろう」。夜襲を見越して人々に強いた灯火管制の訓練も「科学の進歩は、これを滑稽化せねばやまないだろう」。

 航空技術の発達を踏まえれば、有視界飛行でない計測機器も想定された。「機の翔空速度と風向と風速とを計算し(略)予定の空点において寧(むし)ろ精確に爆弾を投下し得る」「赤外線を利用すれば(略)明(あきらか)に敵軍隊の所在地を知り得るが故に、これを撃破することは容易である」。灯火管制は、暗闇をいたずらに出現させ「却(かえ)って市民の狼狽(ろうばい)を増大する」とも指摘した。

 では必要な備えは何か。簡単である。「空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない」。明言はしなかったが、対米戦争の回避が最大の「防空」だとの含意もあっただろう。「帝都の上空において、敵機を迎え撃つが如(ごと)き、作戦計画は(略)勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない」との一節は、現実のものとなった対米戦争の結末を暗示している。

 同社説は、科学技術や海外の例も視野に入れた論理的なものだった。だが、そうは受け取られなかった。掲載後、長野県の在郷軍人有志で結成された政治結社、信州郷軍同志会は不買運動で脅し、同紙に桐生の退社と謝罪を要求した。

 須崎慎一の論文「信州郷軍同志会と日中戦争」(飯田市歴史研究所年報)は、同志会を地域ファシズム運動の所産と位置づける。論文によると、同志会は信濃毎日を「反国家反軍的」「信州赤化の責の大半を持つもの」と捉え、当初から桐生にとどまらず、同紙自体の弾圧を目指していた。

 部数を盾に取られれば新聞社は弱い。桐生は信濃毎日を去った。

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