屈指のアーチスト 藤沢商 田代富雄|カナロコ|神奈川新聞ニュース

屈指のアーチスト 藤沢商 田代富雄

スーパースター編 20/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/01/21 02:00 更新:2018/01/22 19:16
神奈川高校野球100回大会 誰よりも遠くにホームランをかっ飛ばし、県内屈指の“アーチスト”として、高校でもプロでも常に大きな背中に注目を集めた。

 藤沢商(現藤沢翔陵)から輩出され、大洋ホエールズの主砲としても通算278本塁打と輝かしい実績を残した田代富雄(63)は、あの夏を忘れたことはない。

 1971年。「4番・サード」として迎えた高校2度目の夏。注目の長距離砲は準々決勝までの4試合で打率7割2分2厘、13打点と驚異的な活躍でチームの総得点の半分近くをたたき出していた。

 甲子園まであと2勝に迫った準決勝、保土ケ谷球場で行われた桐蔭学園戦。「すごいロングヒッターで、本当に怖かった。1学年下だが、打たれたら絶対に流れが変わる」。桐蔭学園の捕手土屋恵三郎(現星槎国際湘南監督)は、田代を最も警戒していたという。

 藤沢商は六回に3点を奪って逆転したが、じりじりと迫られ、4-4の八回、三塁田代は打球をはじく失策を犯し、決勝点につながってしまう。直後の九回に先頭で意地の中前打を放ったが、ゲームセットのコールは三塁ベース上で聞いた。

 「俺がサードでなく、ファーストを守っていたら、甲子園にも行けたかもしれないんだよ。今もOB会で自分から言うよ。俺のエラーで負けてね。すいませんね、と」

 その夏、甲子園に初出場した桐蔭学園は大塚喜代美-土屋のバッテリーを中心に、前年の東海大相模に続いて全国制覇を成し遂げた。
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