伝説となった剛腕 慶応 渡辺泰輔|カナロコ|神奈川新聞ニュース

伝説となった剛腕 慶応 渡辺泰輔

スーパースター編 18/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/01/19 02:00 更新:2018/01/22 14:45
神奈川高校野球100回大会 「もうね、何しろ球が速かった」「あんな球、誰も打てない」

 監督、選手、マスコミ関係者…。神奈川高校野球の歴史をひもといていくと、必ず名前が挙がる伝説の右腕がいる。

 1960年春、戦後初めて慶応を選抜大会に導いたエース渡辺泰輔(75)。昭和30年代の神奈川2強として、柴田勲の法政二としのぎを削った。

 59年秋の関東大会では3試合で53三振を奪って優勝。優勝候補の一角として迎えた翌60年春の甲子園では、「大会随一と折り紙付き」とまで評された。

 ダイナミックに真っ向から投げ下ろす剛速球は、見る者を魅了した。初戦から全3試合で2桁奪三振。準々決勝で秋田商に延長戦の末、1-2で敗れたものの12三振を奪い、堂々たるベスト8だった。

 福岡県で5人きょうだいの末っ子に生まれた渡辺は、中学時代から評判の剛腕だった。「早慶戦に憧れてね。地元の小倉高校に進んで、そこから早稲田に入ろうと思っていたんですよ」

 中3の夏だった。指導者に連れられて社会人野球の八幡製鐵の試合を観戦した際、慶大出身の加藤喜作監督と対面し、東京六大学リーグへの夢を語ったのが転機だった。

 「それなら東京で野球をしなさい。慶大の稲葉に言っておくから、練習に行ってみなさい」。稲葉とは戦後まもなく横浜の監督を務め、56年から慶大を率いていた稲葉誠治。後に日本通運浦和を率いて64年の都市対抗大会を制した名将だった。

 川崎球場を訪れると、セレクションを受ける高校生が集まっていた。渡辺も飛び入り参加し、中学生離れした重い速球を披露。「おお、こいつはなかなかいいな」。稲葉の目を引いた最年少の渡辺は、高校から慶応へ進むこととなった。

 慶応ではおおらかな校風も相まって、仲間たちとともに和気あいあいと野球に打ち込んだ。「今じゃ考えられないけど、毎日200球とか250球とか投げていたね。とにかく投げるのは好きやったなあ」

 91年から2015年まで監督を務めた上田誠が掲げた「エンジョイ・ベースボール」に通じる自主性を重んじる野球だった。「当時はそんな言葉なかったけど、上級生も下級生も仲良くて楽しくてねえ。『エンジョイ』の精神は、その頃からあったんだと思いますね」
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