世間に強烈なインパクト 横浜商 宮城弘明(下)|カナロコ|神奈川新聞ニュース

世間に強烈なインパクト 横浜商 宮城弘明(下)

スーパースター編 11/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/01/12 02:00 更新:2018/01/22 15:04
神奈川高校野球100回大会 「ジャンボ」こと宮城弘明の活躍で、1979年夏に46年ぶりの甲子園出場を果たした横浜商(Y校)。快進撃は8月20日に幕を下ろした。

 甲子園では初戦から3試合連続二桁安打の打線に乗せられ、宮城も粘投していたが、創部初めて進んだ準決勝で優勝した箕島(和歌山)に2-3で惜敗。「甲子園に来てから一番のピッチングだった」。当時そう振り返った宮城だが、神奈川大会から酷使した左肩はすでに限界だった。長身から投げ下ろすストレートは球威を欠き、変化球主体の投球となっていた。

 「県大会後は肩が痛くて、真っすぐがまともに投げられなかった。痛み止めの注射を何本打ったか覚えていません。(野球選手は)本来なら利き腕の方が長くなるんですけど、注射で収縮しちゃったのか、今でも左の方が短いんです」

 翌80年。連覇を狙ったY校は、守備の乱れもあって桐蔭学園との4回戦で敗退。隙を見せて勝ち上がれるほど、神奈川の夏は甘くはなかった。

 「(甲子園に出て)16、17歳の頃は有頂天にもなりますよね。でも慢心してしまえば、やっつけてやろうというやつはごまんといる。どこかでいまひとつ自分を追い込めなかったからこそ、3年の時に甲子園に行けなかったのかな」

 卒業後はドラフト3位でヤクルトに入団。3年目には開幕1軍入りを果たすも、その後はけがとの戦いだった。4年目で肘を痛め、5年目で肩を壊した。結局7年間で25試合に投げ、0勝3敗。その後は活躍の場を求めて渡った韓国球界で5シーズンを過ごし、現役に別れを告げた。
...

PR