「ジャンボ」フィーバー 横浜商 宮城弘明(上)|カナロコ|神奈川新聞ニュース

「ジャンボ」フィーバー 横浜商 宮城弘明(上)

スーパースター編 10/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/01/11 02:00 更新:2018/01/22 15:05
神奈川高校野球100回大会 1979年7月29日。その日、横浜とのYY対決を制して46年ぶりの夏の甲子園出場を決めた横浜商ナインに待っていたのは、空前の「Y校フィーバー」だった。

 完成2年目の横浜スタジアムは3万人の観衆であふれ、試合後も熱気は収まらない。優勝旗と金メダルを携え、応援歌が鳴り響く伊勢佐木町をパレード。校門には真新しい国旗と横浜市旗が掲げられ、Y校OBだった崎陽軒・野並豊社長の計らいで、差し入れのシウマイ弁当が何百個と山積みにされていた。

 翌日にはさっそく新調するユニホームやスパイクの採寸。用具メーカーからは背番号入りの遠征用かばんなどが続々と届けられ、卒業生からの寄付金や差し入れを申し出る電話が鳴りやまなかった。

 熱狂の中心にいたのは、192センチの2年生左腕「ジャンボ宮城」こと宮城弘明(55)だ。「本当にすごかった。もう至れり尽くせりどころじゃない。Y校全体がお祭り騒ぎでした」。県庁、市役所への表敬訪問やテレビ番組の収録。取り巻く環境が一変した様子を、昨日のことのように振り返る。

 その狂騒からさかのぼること2年。77年の秋、横浜にフランチャイズを移転する目前だった大洋ホエールズのファン感謝デーで行われたエキシビジョンマッチで、シニアの選抜チームとして出場した一人の中学生が注目を集めていた。

 190センチを超す巨体を揺らし、プロ相手に真っ向勝負を挑んでいく。

 「そこで三振をばっかばっか取るんですよ。すごい球投げるぞこいつって。キャッチャーも183センチだったので、大型中学生バッテリーって感じでスポーツ紙の1面をさらったんです」

 うわさは瞬く間に広まり、強豪校の監督たちが父親が営む鶴見の中華料理店へ勧誘に訪れるようになった。原辰徳が卒業したばかりの東海大相模からも熱心な誘いがあったが、その東海に77年決勝で敗れたY校を率いる青年監督の熱意に心を動かされた。

 「うちは横浜市立なので特待生は無理ですし、市内の子しかとれません。もうちょっと勉強して受験してくれませんか。どうしても甲子園に行きたいんです」。当時就任6年目のY校監督・古屋文雄だった。
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