横浜側に負けられねえ 横浜高校 愛甲猛(中)|カナロコ|神奈川新聞ニュース

横浜側に負けられねえ 横浜高校 愛甲猛(中)

スーパースター編 5/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/01/06 02:00 更新:2018/01/22 15:09
神奈川高校野球100回大会 1977年、逗子・久木中3年の夏。知人の紹介で横浜の練習に顔を出した愛甲は一瞬で、打ちのめされたという。

 打球の速さ、変化球の鋭さ。全てに衝撃を受けた。中学では野球だけでなく、バレーボール、バスケットボール、水泳でも、ずぬけた身体能力で一目置かれたが「ここじゃあ生き残れない」と悟った。

 鎌倉学園か、いや逗子開成か…。着替えながら進路に思いを巡らせていると、当時部長の渡辺元(現・元智)が声を掛けてきた。

 「何も心配いらん。うちに来い」。その一言だけだった。「断れなかった。二つ返事。母子家庭のことも配慮してくれてさ。あの光景、脳裏に焼き付いているんだよね。直接言われることがどれだけうれしいか。渡辺さんとの人間関係はその一言から始まったね」

 そうと決まれば厳しい日々が待っていた。愛甲が入学した年の夏前には監督に復帰した33歳の青年指揮官は、泣く子も黙る鬼軍曹として知られていた。

 「体はでかいし、声もでかい。がらっぱち。ベンチの横でたばこをばかばか吸って。練習中、だらしない選手には跳び蹴りを食らわせてた。それが普通。今なら通報されるよね」

 許された返事は「はいかイエス」。水は飲めない。1年生は練習中に白い歯を見せたり、グラウンドを歩いたりすることは厳禁。練習を見に来た母親は「見ていられない」と、二度と訪れなかった。

 「練習に比べれば試合の緊張感なんて屁でもない。一番楽しいのが試合。『勝ったら練習なし』なんて言われた日には、必死になったよ」

 試合前から相手を威圧するのが渡辺率いる横浜の流儀だった。整列は「相手より先に行くな」。あいさつ後は「相手から目を離すな」。ベンチに戻るのは「相手がはけてから」。
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