時代の正体〈559〉「差別主義者は卑怯者」 私が断じるわけ|カナロコ|神奈川新聞ニュース

時代の正体〈559〉「差別主義者は卑怯者」 私が断じるわけ

記者の視点=デジタル編集委員・石橋 学

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2017/12/09 22:32 更新:2018/11/25 17:40

「在日朝鮮人対日本人」の虚構


 私にはもう一つ呼び掛けたいことがある。

 それは私たちの振る舞いについてである。

 差別主義者は狡猾(こうかつ)で、しかし、愚かしい。講演会の目的を「言論の自由を守る闘い」「今年最後の民主主義社会を守る戦い」などと声高に叫ぶ瀬戸氏は、その象徴である。

 自分たちこそが言論の自由、表現の自由の破壊者であり、民主的な社会をも壊す危険な存在であるということに気付いていない。気付こうとしない。

 瀬戸氏は告知記事をブログで連日更新して参加者集めに躍起だが、自らの正当性を主張すればするほど自分たちが何者で、何をしようとしているかが明らかになり、いよいよ逆効果である。

 7日のブログにはこう書いた。

 〈人種差別撤廃条約においては国民の発言を禁止、もしくわ罰則を科す極めて危険な箇所があります。それを在日朝鮮人は知っていて、それをベースに我々日本人の正当なる発言を封じこめようと躍起となっています〉

 〈これを阻止することが最重要な課題となります。なぜならば、これを許せばこの流れが全国に普及してしまうからです。その我々日本人の反撃の為の「ヘイトスピーチを考える会」の今回の講演会となります。是非とも明後日には川崎文化教育会館でお会いしましょう〉

 実質的にヘイトスピーチの事前規制を可能にするガイドラインを「言論弾圧だ」と瀬戸氏は繰り返す。だが、刑事罰で規制しているドイツや英国など欧州諸国がだからといって反民主的、反人権国家とはいえないという一点をもって、いかに的外れであるかが分かる。

 何より「在日朝鮮人が日本人の正当なる発言を封じこめようと躍起になっている」という前提があらゆる意味で誤っている。マイノリティーの立場でどうして圧倒的多数者の発言を封じ込めることができよう。

 崔さんを見れば分かる。名乗り出ればさらなる攻撃に襲われるという恐怖に震えながら、辛うじて差別をやめてくださいと訴えているにすぎない。

 振り絞るような声を受け止め、ガイドラインを設け、差別を根絶する条例作りを進めているのは、すべての市民の代表者たる市長をトップとする行政であり、承認したのはやはり市民の代弁者である市議会だ。

 マイノリティーの声を聞き、広く伝えていこうとヘイトスピーチについて学ぶ集会に足を運んだのも市民であり、そうした行動によって直接、間接的に市や市議会に働き掛けてきたのもまた、市民であった。

 瀬戸氏がブログで繰り返し使う〈在日勢力〉などという、敵対視し排除する意図を持った差別的言動が「正当なる発言」であろうはずもない。

 妄想レベルの「在日朝鮮人対日本人」という構図は意図的なねじ曲げによる創作でしかない。「反撃」などという言葉を用い、自分たちが被害者であるかのごとく語ってみせ、敵視と排斥感情をあおる。もはやこの一文が差別と排除の扇動を目的としたヘイトスピーチというほかない。

うそとごまかしに満ち


 瀬戸氏はヘイトスピーチをしたことがないと強弁し、今回の講演会でもしないという。

 それがいかにうそとごまかしに満ちているかを確かめるのは簡単だ。

 例えば、7月に主催したヘイトデモについて「川崎市もヘイトスピーチはなかったと認めている」とブログに書いている。公開質問状に回答した市人権男女・共同参画室に問い合わせてみる。

 「デモの様子を動画でチェックし、明確にヘイトスピーチといえるプラカードは確認されなかったというのにすぎない。なかったと結論付けたわけではない」

 法務省人権擁護局はヘイトスピーチか否かの判断に当たっては「発言の背景、前後の文脈、趣旨などを総合的に考慮する必要がある」との指針を示しているが、市はそうした踏み込んだ判断を留保している。それを瀬戸氏は都合よく解釈し、「ヘイトデモではなかったというお墨付きを得た」と胸を張っているにすぎない。

 実際は在日外国人を排斥するメッセージが横断幕やプラカードで多数掲げられ、ユーチューブに投稿された動画は3日間で閲覧回数が合計6万回を超え、「さっさと帰れよゴキブリ朝鮮人」「朝鮮人は不法移民!日本から叩(たた)き出しましょう!」「在コ(在日コリアン)は一匹残らず処分しなければならない」といった悪罵がコメント欄を埋めた。その数500件という扇動効果からも、まごうことなくヘイトデモであった。

 自らの手を汚そうとしない差別扇動者らしく、小ずるい書き方をしたこともある。

 〈北朝鮮を擁護する在日朝鮮人は日本から出て行け! これは不当な差別的言動でしょうか? それとも正当な政治的な言動でしょうか〉

 私は記事でヘイトスピーチであることを示した。瀬戸氏は「法務省に取材して確かめてみるべきだ」とブログで反論するが、私が根拠とした法務省の指針は以下の通りである。

 〈(地域社会から排除することを扇動する)言動の中には、一定の条件や理由を付すことにより、一見、正当な言論であるかのように装うものもあり得るが、例えば、「○○人は全員犯罪者だから日本から出て行け」、「○○人は日本を敵視しているのであるから出て行くべきだ」とするものなど、付されている条件や理由がおよそ意味をなさず、本邦外出身者を排除、排斥する趣旨にほかならないものである場合には、合理的な理由もなく排除することを扇動しているものとして、本条に該当し得ることになると考える〉

 このようにヘイトスピーチをしているのに「していない」と強弁する人物が、今回は「しない」と言うのを、どうして信じられよう。

 つまり、実害はすでに生じているのだ。過去の言動を謝罪、撤回しないどころか、居直る人物が講演会を予告しただけで、ヘイトデモで痛めつけられた在日コリアンの当事者は「死ね」「出ていけ」の叫びがよみがえり、また傷を負う。そうした人物の呼び掛けに応じた人々が集うことを想像しただけで、当日、会場の市教育文化会館に近づくことさえできなくなる。

 ここに生き方までもねじ曲げるヘイトスピーチの害悪が具体的に浮かび上がってくる。

 いま、表現の自由を奪われているのは誰か。ヘイトスピーチにさらされている在日コリアンである。

 表現の自由はなぜ守られなければならないのか。人は思うままを語り、表現することで他の誰でもなく、自分らしくあることができる。人が人であるということはそういうことだ。社会もまた、さまざまな意見を交わす中で形づくられてこそ健全なものとなる。少数者の声を尊重してこそ公平公正な社会は実現する。

 だが、ヘイトスピーチは恐怖から沈黙を強いる。標的となったマイノリティーは表現の自由を奪われ、出自を明かすことさえできなくなる。ありのままを生きる自由が奪われる。多様な声は届かなくなり、民主的な社会は崩れる。暴力を肯定する空気に満ち、具体的な危害を加えるヘイトクライム(憎悪犯罪)、ジェノサイド(大量虐殺)へとエスカレートしていく。私たちの社会全体が壊されていく。

 だから、表現の自由を守り、健全で民主的で平穏な社会を守るためにこそ、ヘイトスピーチは規制されなければならない。

 そして、恣意(しい)的な判断にならぬよう第三者機関を設ることを定めたガイドラインは、ヘイト規制と表現の自由を守ることは両立すると示している。ガイドラインが封じるのは憲法が保障する範囲外の差別的言動であって、瀬戸氏がいう表現の自由の侵害には当たらないからだ。

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