神奈川新聞と戦争(61)1933年 赤ん坊が一時重体に|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(61)1933年 赤ん坊が一時重体に

「毒ガス」に焦点を当てた1933年8月10日の横浜貿易新報7面

 関東防空大演習は、演習といいながら、実際の「被害」を引き起こしていた。横浜市中区の伊勢佐木町通りでは洋傘店のショーウインドーが大破し、帽子店のガラス戸がめちゃめちゃに割れた。物的被害ばかりではない。1933年8月10日の横浜貿易新報(本紙の前身)にある。

 「[割れたガラスの]破片擬砲音炸裂(さくれつ)自体に依(よ)つて防護団四名並(ならび)に付近に見物中の人々十一名が重軽傷を負つたが当時煙爆濛々(もうもう)たる中の大椿事(ちんじ)とて場所柄なり一時は非常の大騒ぎとあつた負傷者十六名は直(ただち)に弥生町横浜医院に於(おい)て応急手当を受けた」

 記事によると、同区に住む15歳の少年が顔面と左腕を負傷し全治3週間余りの重傷。同記事などによると、演習に伴う市内のけが人は20人を超えた。

 中でも深刻だったのが、次の事故だ。「毒ガスの猛威」と題した2段の小さな記事は、次のように伝えた。場所は同市神奈川区入江町、入江橋の際。

 「八日生れたばかりの赤ん坊が九日午前十時半頃同所に行はれた防空演習で轟(ごう)然(ぜん)たる爆音にびつくり泣き出したが間もなく口、鼻から泡を出して唇や爪先が青くなり窒息仮死の状態となつたので驚いた家人が同所岡村病院に運び込み人工呼吸に酸素吸入と手をつくした結果一命は取り止めた」

 原因について、記事は「演習に使用された毒ガス(黄色の煙)を吸入した為(ため)の窒息と見られてゐる」と推測。模擬的な煙だったろうが、新生児には本当に「毒」だった。赤ん坊の家は「演習現場から十五、六間[27~29メートル]より離れてゐない」とも説明した。

 改めて見出しに着目したい。袖見出しの「生れたばかりの赤ちやんが一時窒息仮死の態 神奈川入江町の椿事」とは、思いがけない余波の驚きを表したのだろう。だが主見出しは、本来主題にすべき「赤ん坊が重体」という事実とは別次元の関心に基づいていた。

 それが、まさに「毒ガスの猛威」だった。

 化学兵器は、第1次大戦(14~18年)で本格的に使用され、その脅威が広く知られるようになった。同日の紙面には「恐しい毒ガス 生理的の影響」と題した記事も載った。かけがえのない新しい生命を危険にさらし、人々は戦争の疑似体験に前のめりだった。

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