神奈川新聞と戦争(60)1933年 演習でけが人が出た|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(60)1933年 演習でけが人が出た

高射砲の演習で被害が出たことを伝えた1933年8月10日の横浜貿易新報の7面

 「市民熱誠の結晶 高射砲の猛射に敵機直ちに撃退さる 科学の粋と人力の統制と」と美辞麗句を並べ、関東防空大演習の初日を報じた1933年8月10日の横浜貿易新報(本紙の前身)。だが7面には様相を異にする記事が載った。

 「高射砲に代用する擬砲音炸裂(さくれつ)犠牲者出づ 伊勢佐木防護分団の演習中の椿事(ちんじ)」。空襲に対抗する演習用の高射砲弾が、現実に被害を出してしまった。場所は横浜市中区伊勢佐木町1丁目の吉田橋の間際。

 「高射砲に代る擬砲音四発の炸裂に同所伊勢ビルの階下松屋洋傘店の厚さ五分[1・5センチ]のウヰンドを大破した外(ほか)演習に従事中の防護団員並(ならび)に参観者左記六名の負傷者を出した」とあり、続いて負傷者の住所、名前、年齢、負傷箇所と程度を羅列。65歳男性は「右足に治療四週間」だった。

 話はそれるが文中の「伊勢ビル」とはイセザキモール入り口に現存するイセビルを指すとみられる。関東大震災の復興過程で26年に新築され、飲食店やビアホール、ビリヤード場などがあり、不夜城と称された。洋傘店もあったという。

 隣の記事も演習中の事故を伝えた。「相模屋付近でも同様 十一名の負傷者 商店のウインドグラス数ケ所破壊 破片四方に飛散して」と見出しにある。

 「伊勢佐木防護分団第二地区の相模屋呉服店付近伊勢佐木町四ノ一一二から同四ノ一一八に亘(わた)る演習中使用した擬砲音八発中炸裂した破片は夜光堂洋傘店丸西帽子店外四ケ所の硝子戸等を滅茶(めちゃ)々々に破壊」

 これも本筋ではないが、相模屋は当時の横浜を代表する呉服店の一つだった。横浜開港資料館発行の館報「開港のひろば」98号(2007年)によると「店員が客と一対一で膝を交えて反物などを売るような販売」が時代遅れになりつつあった明治末期(20世紀初頭)、相模屋などは「下足のまま店内を行き来」できる「陳列売り」に切り替え評判を呼んだ。ショーウインドーやマネキン人形のある店もあったという。「ウインドグラス数ケ所破壊」の見出しからは、華やかなりしザキの姿も浮かぶ。

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