神奈川新聞と戦争(59)1933年 非国民をあぶり出す|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(59)1933年 非国民をあぶり出す

灯火管制の演習が「成績不良」だったことを伝えた1933年8月10日の横浜貿易新報7面

 関東防空大演習の第1日を詳報した1933年8月10日の横浜貿易新報(本紙の前身)に「灯管の成績不良」の見出しが載った。「敵襲意外に早過ぎて多少油断のため」ともある。同じ日の1面が演習をねぎらう昭和天皇の「聖旨」が伝達されたと報じ、そういう国家的演習の秩序を強調したこととは対照的だ。

 記事は空襲を迎撃する高射砲の訓練が好成績だった一方で「灯火管制の非常管制は概して不良であつた」と断言。灯火管制とは夜襲に備え、攻撃目標となる照明を消すことを指す。

 「敵機の襲来が意外に早く警報が発せられて十分以内に市中心の上空に現はれた為(た)め手配が遅れた関係もある」「八時と予定して安心して食事してゐたため」などと理由を説明した。本来、いつとも知れない襲来が「意外に早く」「八時と予定」とは滑稽に映る。

 ここからも、演習の真の狙いが分かるだろう。大前治著「『逃げるな、火を消せ!』戦時下トンデモ『防空法』」は指摘する。「たった一人でも光を漏らしたら、そこが攻撃目標となり町全体が被害にあう」との「非常時マインド」を人々に植え付けることだった。

 それは続く記述にも表れている。「市民にしてそれらの注意を無視して表丈(だ)け消して裏は覆をせず開け放しの家も少くなく」。演習の「防護団」が注意して回ったが「中には横着にかまへ三回も四回も注意するまで空返事で消したやうな風をしてゐたものもあつた」。

 県内初の演習ゆえ、こうした非協力的な態度もあり得ただろう。だが、次第にそれを許さぬ空気がはびこることになる。前掲書いわく「『光を漏らすな』という言葉は、不届き者がいないか相互監視する空気を醸成する。灯火管制は『自発的な戦争協力』を作り出すには効果的だった」。演習を機会に、国策に従わない国民をあぶり出し、彼らの居場所をなくす-。

 実際、国際法に反し市街地を無差別爆撃した東京や横浜の大空襲では、灯火管制は意味をなさなかった。

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