神奈川新聞と戦争(54)1942年 初空襲も「怖くない」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(54)1942年 初空襲も「怖くない」

本土初空襲を報じた1942年4月19日の本紙。「焼夷弾は恐るゝに足らず」と下の方にある

 米軍機による本土空襲が激化し、東京大空襲を経てなお、本紙は「消火の弾丸は水」などと、読者に消火活動への従事を求めた。類焼を防ぐとともに工場や農地など「銃後」の持ち場を守るよう呼びかけ、時に焼夷(しょうい)弾の火を立ち小便で消す子どもの挿絵も載せ、被害の懸念を打ち消した。

 これらの報道は、軍需物資を滞りなく生産し続け、厭戦(えんせん)気分を防止する政府方針に従わざるを得なかった結果とはいえ、特に空襲を「恐れるに足らず」と吹聴した責任は大きい。

 その姿勢は、当初から徹底していた。例えば、1942年4月18日の米軍による本土初空襲(ドーリットル空襲)を伝えた本紙記事は、こんな具合だった。

 「十八日午後突如敵機が県下に現はれ爆弾を投じ僅少の被害があつたが、全県民はかねて覚悟の所丈(だ)けに少しも騒がず軍官民一体緊密な連絡のもとに応急の処置を講じたため被害は極めて僅少に阻止し得たのであつた、むしろ、この小しやくな敵機の空襲に県民の大東亜戦完遂への決意は一段強化された」

 その隣には近藤壌太郎知事の談話が引用された。

 「軍の活動と相俟(あいま)つて警防団、家庭防空群は其(そ)の措置甚だ宜(よろ)しきを得たる為(ため)被害極めて僅少なり」と不安を抑えつつ「今回得たる経験と自信をもつて愈々(いよいよ)訓練を積み、如何(いか)なる事態が発生するも沈着ことに当り国土防衛の責務を完(まっと)ふせられんことを望む」と、あくまで地域の「防衛」の責任を負わせるのだった。

 「敵の焼夷弾は恐るゝに足らず」との二段見出しもある。「皇室の御安泰に亘(わた)らせられることは我々の等しく慶祝に堪へざるところなり」に始まる東部軍司令部発表を載せた。ここでも「国民各位は更に防火消火の準備を促進せられたし」「焼夷弾は二キロのものなるが如く其威力は何等恐るゝに足らざるも」との発表をそのまま報じた。

 これら国や県の発表をなぞるように、本紙1面のコラムも「空襲なんぞ恐るべき」と虚勢を張った。

COMMENTS

facebook コメントの表示/非表示

PR