神奈川新聞と戦争(53)1945年 避難者が非難された|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(53)1945年 避難者が非難された

1945年5月28日の神奈川新聞に掲載された「醜翼恐れず」「飛行雲」の記事

 空襲で職場を失った人に、国は再就職を斡旋(あっせん)した。1945年5月2日付の本紙は、横須賀国民勤労動員署のコメントを紹介した。「技能申告手帳や労務手帳を焼かれ、もう戦列復帰は出来ないものと思ひ諦め切つてゐる方が相当ゐますが、決してご心配は要りません、手帳を所有してゐなくても戦災者であれば優先的に斡旋しますから一日も早く再び戦場に起つてあの激烈な沖縄の決戦場へ一機一弾でも多く送つて下さい」

 手帳とは職歴や技能を記録するもので、国が労働者に義務づけた。国民の職能を戦争に動員するためだ。彼らは「産業戦士」と呼ばれ前線の兵士と同一視された。戦列復帰、戦場といった比喩が、特に括弧書きもなく使われている。

 横浜大空襲の前日、同月28日の本紙には「醜翼恐れず」という記事が載った。醜翼とは米軍機のことだ。

 横浜市磯子区で消防や警察、区役所、町内会がこぞって家屋の防火対策を整えた-。「戸別訪問して天井板の取外し、塀の切開、貯水槽の整備、消火器資材の整備等の実施を点検」。違反者を警察に呼び出すという強制的なものだった。

 記事には「暴逆な敵の都市無差別焼夷(しょうい)弾攻撃に対しては徹底した初期防火態勢をもつて臨めば何等恐るゝに足らず」ともある。同年3月10日の東京大空襲、4月15日の川崎、鶴見の空襲を経てなお「恐るゝに足らず」と本紙は書いた。

 隣には「飛行雲」と題した小さな囲み記事がある。

 「横浜市磯子区某町内会の隣組では世帯員一人二人の家庭が多く」「警報が鳴ると極(き)まつて幼児を抱えたお母さんは(略)身の回りの品物を持つて横穴防空壕(ごう)へ避難してしまふのです」「隣りの小父(おじ)さんが鉄兜(かぶと)のひもを締めながら云(い)ふのです『これぢやわたしの家族で全隣組の管理をしなければならなくなりますよ』」「体当り防火に活動してもこんなところから(略)火の手があがつてしまふ」

 記事は人命よりも防火を重視し、子どもを抱いて逃げるような人々は「全部地方へ疎開出来ないものだろうか」と嘆いた。空襲下、避難は非難された。

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