神奈川新聞と戦争(52) 1945年 職業能力の国家管理|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(52) 1945年 職業能力の国家管理

「急げ戦列への復帰」と題した1945年5月2日付の本紙記事

 見出しは「急げ戦列への復帰」、副題には「転入戦災者に就職の優先斡旋(あっせん)」。横浜大空襲の27日前、1945年5月2日付の本紙に掲載された記事は、空襲で職場を失った戦災者が、いち早く再就職先を探し始めた「美談」を伝えた。

 「憎つくい敵機の盲爆によつて職場を、家を焼かれた戦災者が最近横須賀市内の縁故先を頼つて身を寄せるものが相当数ゐるが、早くもその一部はあの灰燼(かいじん)に起つて憤懣(ふんまん)を燃やし歯を食ひしばつて固く誓つた驕敵(きょうてき)米鬼撃滅の復仇(ふっきゅう)心を点(とも)らして横須賀国民勤労動員署に出頭速かに戦列復帰の就職斡旋を頼むなど凜然(りんぜん)たる生産意欲を沸らせ」…。

 米国への憎悪をあおりつつ、新たな職を探そうとする国民の行動を、軍需産業への「戦列復帰」と表現した。その姿勢を「歯を食ひしばつて」などと情緒的に描写した。同月30日に発行した大空襲の本紙号外が「起ち上る横浜市民」と掲げた見出しに通ずる。

 文中の「国民勤労動員署」とは、前年の44年に国民職業指導所から改称された職業紹介機関のことだ。

 法政大学大原社会問題研究所編著「日本労働年鑑戦時特集版 太平洋戦争下の労働者状態」は、職業紹介の目的が戦時に「従来の失業者救済機関から、労働力の軍事的再編成のための適正な配置を担当する機関に転換した」と解説する。

 38年制定の国家総動員法に基づき、国は戦時体制の労働政策を進めた。同年、厚生省が発足。翌39年には職業能力申告令などの勅令を出し、労働者一人一人の技能を国家が一元的に把握する体制を整えた。軍需産業の労働力が不足しつつあったことが背景にある。

 前掲の記事に、こんなくだりが見られる。「何分にも着のみ着のまゝで来署してゐる関係、技能申告手帳または労務手帳を焼かれたものが相当あり」…。

 「手帳」は41年10月に導入された「労務手帳制度」に基づく。工場や鉱山の労働者に手帳を持たせ、経歴や技能などを記入させた。人的資源を効率的に戦争に使う総動員体制は、真珠湾攻撃の前に完成していた。

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