神奈川新聞と戦争(51) 1945年 焼夷弾には精神力で|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(51) 1945年 焼夷弾には精神力で

「焼夷弾小便で消す日本の子」と記された挿絵=1945年5月2日付神奈川新聞

 「雨と降る焼い弾と敢闘した市民」「猛火と戦つた悔ひなき戦争」。1945年5月29日の横浜大空襲の翌日、本紙号外はそんな言葉とともに戦災から目を背け、空襲を「郷土再建」の契機にすり替えた。

 油脂を発火させる焼夷(しょうい)弾に、日本の木造家屋は無力だった。けれども政府は人々に消火を指導した。しかもバケツリレーのような原始的な方法でだ。

 空襲前日、5月28日の本紙は「消火の弾丸は水 水こそ必勝防空の鍵」と題した記事を掲載した。その本文には「空襲火災に打勝つには消火の弾丸水を潤沢に備へることこそ防空必勝の鍵だ」「水あつてこそ近代科学の粋を誇る消防機械陣も縦横の活躍ができるわけだ」とある。水を「弾丸」に例える精神性が際立つ。「近代科学の粋」が何を指すのかは記されていない。

 空襲や焼夷弾に対する国民の恐怖心を抑えようという記事もあった。同月に連載された「戦災者は起(た)つ」という挿絵入りの囲み記事が一例だ。5月2日には、立ち小便で火を消す子どもの絵とともに「焼夷弾小便で消す日本の子」の文字。本文にはこうある。

 「あのときの焼夷弾は全く雨の様に激しかつた、文字通りの盲爆であつた、よくもまあこんなに弾が続くなと感心する程の投下量であつたが市民は子供と言はず、女といはずその焼夷弾の中に飛び込んで闘ひ抜いた、おかげで救はれた工場、家屋は無数に上る」

 ここにもあるように、子どもも女性も「焼夷弾の中に飛び込んで」消火することを求められた。「救はれ」なかった人々のことは書かなかった。人命を顧みない政府の考えを、新聞はそのままなぞった。

 同じ紙面には「急げ戦列への復帰 転入戦災者に就職の優先斡旋(あっせん)」の見出し。職場も家も焼かれた戦災者が、新たな職を求め役所にやって来たという話だ。記事はそのことを「凜然(りんぜん)[勇ましい]たる生産意欲を沸(たぎ)らせ」などと称揚し、美談に仕立てた。 

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