神奈川新聞と戦争(50) 1945年 戦災情報の真意とは|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(50) 1945年 戦災情報の真意とは

「食糧に心配はなし」などと掲げた1945年5月30日の本紙号外の一部。「五日まで無賃乗車」の下にある「罹災」の「災」は活字サイズが違う

 1945年5月29日の横浜大空襲で本社は横浜市中区の社屋が全焼し、南区の民間印刷所を応急の工場にした。翌日付の号外には、印刷メディアの肝である活字の調達さえままならない実態が表れていた。

 「敵B29五百機の無差別ばく撃」「てさ米への憤げき」「盲ばくによる市民の動揺を狙つてゐる」「やけ跡の整理に汗を流す戦さい者」「当局のそ置」「重要施設ほとんどぶ事」…。

 爆撃、憤激、盲爆、焼け跡、戦災者、措置、無事といった語が仮名交じりで表記されている。「てさ米」とは「敵米」のことだろう。活字は漢字だけでなく平仮名も欠乏し、敵の「き」を形の似た「さ」で補った。活字のサイズがふぞろいの箇所もある。

 だが、記事の内容は社の困窮とは対極にあった。

 「てさは明かにこの盲ばくによる市民の動揺を狙つてゐることも百も承知の戦災市民は絶対の勝利!最期の勝利を強く強く確信してゐるのだ」

 「今回の戦災は勝つための試練でこそあれどん底の絶望とは断じて思つてゐない!見せよう土のうへに起つてやけ跡の整理に汗を流す戦さい者の顔のなんと明いことであらう!」

 6日後の県警の調べで3649人、実際には8千を超えるともいわれる死者を前にしてなお、本紙は「勝利」すると鼓舞し、戦災者が「なんと明いことであらう!」と被害を過小評価し、あくまで戦意高揚に努めた。

 横浜市大名誉教授の今井清一は、著書「新版 大空襲5月29日-第二次大戦と横浜」(有隣堂)で、横浜の数日前に東京であった二度の空襲を挙げ「たて続けに三回の大空襲をうけたことは、市民の戦意に大きな打撃を与えた」と指摘。厭戦(えんせん)気分が広まることを恐れた当局は、新聞を使って「市民のショックを和らげようとした」という。

 その通り、本紙号外には「食糧に心配はなし」「市電の復旧は短時日の見込み」との生活情報が掲載された。真意は、戦争の継続。本紙が戦災者の困窮に寄り添うことはなかった。

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