少女の海軍下宿(下)「兄も水兵も、みんな死んだ」 ヤシの実に命思う|カナロコ|神奈川新聞ニュース

少女の海軍下宿(下)「兄も水兵も、みんな死んだ」 ヤシの実に命思う

 サイパンを身近に感じていた。「船であっという間に行ける所」。横須賀市の元国語教諭、木村禮子さん(88)は、少女時代にサイパンをそう捉えていたという。実家は米国との戦争が始まる前、1930年代半ばに海軍指定下宿を営んでおり、航海から戻った水兵たちはよく、ヤシの実を土産に持ってきてくれた。南国の甘さに若い彼らの優しさが重なった。

 44年7月、そのサイパン島の「玉砕」が報道された。「一億仰ぎ見る神兵の姿」と題した本紙は「全員壮烈なる戦死を遂げた」との大本営発表を伝えた。

 「すごくショックだった。こんなに日本に近い場所で『玉砕』つまり、みんな死んだと。ということはもう負けるのだと」

 高等女学校4年だった木村さんは、そのニュースを聞いて学校で「サイパン島を忘れるな」と黒板に書いた。戦後になって後輩から「あの時の先輩、とても怖かった」と言われた。

 程なく授業は取りやめになり、浦賀ドックで兵器の部品を製作する学徒動員の生活が始まった。同年初冬には米軍の本土空襲が本格化。浦賀への行き帰りに乗る電車(現京急線)の屋根には、機銃掃射を受けた穴がぽつぽつと開いていた。

 「朝、家を出るとき母はいつも玄関に座って見送ってくれました。行ってきますと言いながら、今夜も一緒にご飯が食べられるかな、食べられるといいなと祈るような思いでした」...

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