少女の海軍下宿(中)「満吉 満吉」「立派に死所を…」 父親の叫び手紙に|カナロコ|神奈川新聞ニュース

少女の海軍下宿(中)「満吉 満吉」「立派に死所を…」 父親の叫び手紙に

 「おゝ今は何をか問はんや 満吉 満吉 良くも成し遂げたり 満吉は立派に死所を得たのだ」

 横須賀市に住む元教諭、木村禮子さん(88)は最近になって、1930年代半ばに市内で海軍指定下宿を営んだ母の遺品から、古い手紙を見つけた。黄ばんだざら紙に記された「昭和十九年八月」の文字と差出人の名前。かつて下宿した水兵の父からだった。

 その水兵は海軍工機学校の練習生時代に下宿し、木村さんの家を第二の故郷と親しんだ。彼は貯金通帳と保険証券をひそかに木村さんの母に託していた。戦死の知らせを受け母はそれらを送ったのだろう、手紙には返礼がつづられていた。

 「何とも言えない悲痛な、叫ぶような手紙ですね。息子の名を何度も書くなんて…」

 彼は木村さんを妹のようにかわいがってくれた。

 「勉強で毎日毎日奮闘の事と思います」「何処(どこ)とも知れない広漠たる大洋を東西南北に走り回り猛訓練を続けて居ります」。航海先から、そう書いてよこした絵はがきを、木村さんは今も大切にしている。

 絵はがきには重巡洋艦「愛宕」とあったが、手紙の記述からは、後に駆逐艦「新月(にいづき)」に移ったらしいことが分かる。新月は43年7月、ソロモン諸島のクラ湾夜戦で米海軍に沈められた。

 本紙は大本営発表の通りに「来攻の敵部隊へ捨身の反撃」と勇ましく書き立てた。その陰で失われた若い命や、父の悲憤はうかがえない。

 手紙で水兵の父親は「家内一同面を伏せて声を忍び読む者も続けて読み得ぬ感動を如何(いかん)ともなし得ませんでした」と語った。その裏面、義姉からの文面には「いつかへれるのか、とそれのみ楽しみにして居りましたのに、遂(つい)に今日の栄へある御沙汰に接し感がい無量でございます」とつづられていた。

 郵便物が検閲された当時にあっては、精いっぱいの悲しみの表現だっただろう。...

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