中華街の進化撮り続ける  写真家・薬袋勝代さん|カナロコ|神奈川新聞ニュース

中華街の進化撮り続ける  写真家・薬袋勝代さん

刺激的な場所、作品は「恩返し」

中華街を撮り続ける写真家・薬袋さん =横濱マ祖廟

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 横浜中華街(横浜市中区)の行事に、この人あり。生まれも育ちも横浜の写真家・薬袋(みない)勝代さんだ。中華街をフィールドとし、写真を撮り続けている。

 「でも今は、写真でお金をもらっているわけではないから、プロの写真家ではなく専業主婦と言っているんです」。笑って、そう言い切る。

 写真データは現在、中華街関係者らに無償で提供しているが、それは「自分を育ててくれた街への恩返し」と思っている。
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 当初から写真家を志していたわけではなかった。

 ただ、小学校1年生の時に亡くなった父が写真館を営み、大叔父は、関東大震災における横浜の被害状況を記録したことなどで知られる写真家・岡本三郎氏という家系にあって、「写真は、いつか触れなければいけないものだと思っていた」。

 大学を卒業し民間企業で1年働いた後、夜間のデザイン学校へ入学。その後、専門学校へ入り、写真を本格的に学ぶようになる。

 父が仕事としていた写真とはどういうものなのか、ファインダーの向こうには何が見えるのか、どうしても知りたくなったからだった。「人生は一度きり。やりたいことをやろう、と」

 卒業後は報道写真家・浜口タカシ氏に師事。アルバイトをしながら、写真を撮っていた。

 中華街は、もともと好きなエリアだった。店に並ぶ置物や洋服はどれも不思議な感じがして、やがて中国文化に関心を持つようになった。思えば、母に連れられ、生まれて初めてジャスミン茶を飲んだのも中華街だった。「こんな近くに知らない文化があったのか、と思いましたね」
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 写真を始めてまだ間もない20代後半の頃。関帝廟を写したモノクロ3枚組の作品で、神奈川二科賞を受賞した。初めての応募で、20代の女性ということもあり、メディアにも取り上げられた。

 が、それ以来、「闘い」が始まった。これを超える写真がこの先、自分に撮れるのかというプレッシャーとの闘いだ。「私は一生、あの作品と闘っていく気がします」

 結婚、出産…。年齢や経験を重ねる中で、少しずつだが、気持ちに変化が出てきた。おごることなく、受賞を自信にしたら良いと思えるようになったという。「きょう撮った1枚よりも良い写真が明日、撮れればいい。今は、そんな心境ですね」

 エネルギッシュで、進化を続ける中華街からは、いつも刺激をもらっている。毎年恒例のイベントも、まったく同じ写真が撮れることはない。「だから面白い」のだという。

 もう一つ、中華街の行事を手掛ける人たちにカメラを向けながら感じるのは、時代に合わせて変化を続ける中にあっても、中国の伝統文化は継承しようという強い思いだ。「獅子舞をはじめ、みんなプライドを持って演じている。その表情が、何とも格好良い」

 これからも、街の変化を見続け、歴史を記録していけたらと思っている。

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