やまゆり園元職員が手記で思い語る(上) 施設暮らし「必要悪」

 入所する19人が殺害された障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)。その近くに住む元職員の太田顕さん(74)は、1968年から36年間、入所者と向き合ってきた。現在と大きく異なる障害者福祉や社会情勢の中、画期的な施設として運営されていた時代もあった。一方で「施設で暮らすことは、入所者にとって本当に幸せなのだろうか」と矛盾や葛藤を抱えたことも。自身がまとめた現役時代の手記を基に当時の様子をたどり、思いを語る。

 今でこそ「古い形態の施設」と言われるが、津久井やまゆり園は64年、全国に先駆けた画期的な公立の重度知的障害者施設として鳴り物入りで開所した。

 多くの見学者が全国から視察にやってきた。

 「当時は、やまゆり園に障害者を入所させて親を楽にするとか家族の負担を軽減するとかそんなもんじゃなくて、もう生活が成り立たない中、命からがら、というレベルの問題だった」

 職員は入所者や家族から「先生」と呼ばれ敬われていた。人間として対等な関係をつくる以前の問題だった。

 〈勤め始めた当初、見学者・父兄からの過分にすぎる異常な感謝と労(ねぎら)いの言葉に感激し、(中略)なんとか期待に応えようと頑張る決意をしました。ところが、いつのまにか(中略)ただ施設に勤めている事実だけで、私自身園生と社会に対し善い事をしていると思い込んで来ました〉(73年)

 入所希望者の家庭を訪問した時、障害がある女性が土間の柱にロープでくくりつけられていたことがあった。手で土を掘って食べていた。爪がぼろぼろで、口の中は泥だらけだった。農家の両親は働きに出ていた。

 「彼女の生活をあえて家庭から切り離すことで、家族も仕事に専念できたろうし、もちろんそれまでロープにつながれていた娘さんも、より人間的な生活ができるようになった」

 彼女は当初、...

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